レンブラントの光 |
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ベルリン美術館が所有するレンブラントの絵に、<黄金の兜の男>という作品があります。
暗ぁーい絵です。
黄金色の兜が、不気味に輝いています。
その兜を被った口髭の老人の顔が、ぼんやりと浮かんでいます。
陰鬱そうなその顔は、口を結んで、下の方をうつろに見つめています。
頸甲の右肩に、あたかも兜から垂れる黄金色のしずくが溜まった塊、それが勲章のように小さく輝いています。
ただ それだけで、あとは 漆黒の闇です。
この絵を、ずっとずっと前に見た記憶があります。
中学校の美術の教科書だったか、定かでありません。
こわーい絵の記憶。
分厚い雲の切れ間から差す太陽光を 薄明光線と言うのだそうですが、この薄明光線のことを 「レンブラントの光」と呼ぶことを、最近知りました。
別名 「天使の梯子」。
先日、紀伊白浜へ孫たちと海水浴に行ったとき、この薄明光線に出会いました。
南の海の 雨雲が垂れこむ空を 恨めしく見上げていると、雲の切れ端から 太陽の光が洩れあふれ、光線の柱が 放射状に地上へ降り注いで見えたのです。
実に美しい光景でした。
天使の梯子という名にぴったりの、昇天の気分みたいでした。
空は刻々と変化します。
見ている間に、厚い雲が 光線を消しました。
それでも 雲の一部が、黄金色に輝いています。
その雲の切れ間から、さーっと光が射しました。
あぁ、これが 「レンブラントの光」なのかと、その見知らぬ名付け親に 訳のわからない感謝をしていました。
そのとき ふっと、あの<黄金の兜の男>の絵を 思い出していました。
若いころ、ぼくはレンブラントの絵を好みませんでした。
暗いし、描かれた情景が おどろおどろしているし、気が滅入りそうで・・・
レンブラントは、1606年、オランダのライデンで、9人きょうだいの8番目の子として産まれました。
きょうだいは職人として育てられましたが、レンブラントだけは 大学教育を受けさせてもらいました。
しかし 学業をあきらめて、好きな絵の道を選びます。
1631年、アムステルダムに移り住んで以後、終生この地に居住します。
最初 彼は、肖像画家として大層な成功をおさめました。
それとともに聖書の物語や古代史や神話の諸場面を絵にし、さらに風景画も描き始めます。
1642年、有名な<夜警>を完成したころから、レンブラントの没落が始ります。
経済的にも、そして家庭的にも。
各年代に描かれた数多くの自画像は、レンブラントの そのときどきの生きざまを、たぶん意識的に もの語っています。
このごろ ぼくは、レンブラントの絵を、画集などで よく眺めます。
とくに、経済的に豊かでなくなった 晩年の作品に惹かれます。
レンブラントの絵が好きになったのかと言うと、ちょっと違う気がします。
光が満ち溢れていることに、少し疲れたのかもしれません。
少しの光でも、レンブラントの光は、ときに劇的であり、過渡的であり、移ろいゆくものであるがゆえに、日だまりの温かみのように、この身にすんなりと寄り添ってくれるのです。
各年代に同じ主題で数点描いた レンブラントの作品の中に、<幼児キリストを讃えるシメオン>という作品があります。
シメオンという老人は、ルカによる福音書に登場する人物で、その目で救世主を見るまでは死ぬことはないと、予言を受けていました。
その成就を予感して シメオンが神殿に籠っていますと、マリアとヨセフが慣習に従って 初子を神に捧げようとやってきます。
シメオンは その子をそれと認め、腕に抱きとって 震える声で救済の言葉を述べます。
「主よ、今こそ御言に循(したが)ひて 僕(しもべ)を安らかに逝かしめ給ふなれ。
わが目は、はや主の救いを見たり・・・」
レンブラントの光は、暗闇から射す 安らげき陽射しであり、まさしく薄明光線 「天使の梯子」であり、それは あたかも シメオンが見た救世主のように、ぼくには感じられるのです。
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