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賽院の河原

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京都市街の西端、通りの名で言うと西大路四条の 交差点付近を、西院と呼んでいます。
阪急の駅名は、「さいいん」です。
嵐電の駅名は、「さい」と読ませています。
どちらも正しいらしい。
わたしは、言い慣れた 「さあいん」で通しています。

淳和天皇の離宮の淳和院が、この地にあったらしい。
別名 「西院(さいいん)」といわれていました。
これが地名の由来となった、という説。

遠いむかし、このあたりは都の辺鄙な西の果て、一面 川原でした。
鴨川と桂川の合流洲は、この近辺から南に長く広がっていました。
その河原は、野葬の場でした。
幼くして死んだ子を、捨てに来た。
年老いて死んだ親を、捨てに来た。
子や親を捨てたものたちは、合流洲を 三途の川の河原に見立てたに違いありません。
諦めきれない親たちは、死んだ子恋しやと、この付近まで会いにくる。
三途の川を渡りきれない魂は、裟婆恋しやと、この付近まで彷徨い出る。
あの世とこの世の どっちつかずの 「賽(さい)の河原」だったのです。

この 「賽(さい)の河原」説は、陰気ですが、引き付けられるものがあります。


祖母のむかし話を聞くのは楽しみでしたが、賽院の河原の話だけは、いやでした。

   これはこの世の事ならず
   死出の山路の裾野なる
   西院(さい)の河原の物語

嬰児が父上恋し母恋しと せっかくせっせと作った積み石を、夜になると地獄の鬼が来て押し崩すところにくると、耳を塞いで聞いていました。
「やい、子供、汝らは何をする、裟婆と思いて甘えるか」
祖母の袂に首を突っ込んで、聞いていました。
深い意味など、判ろうはずもありません。
ただ、恐ろしうてなりませんでした。
地蔵さまが 「幼きものをみ衣の、裳裾のうちに掻き入れて」くださるところで、祖母の袂から やっと首を出して聞きました。

   未だ歩まぬみどり子を
   錫杖の柄に取り付かせ
   忍辱慈悲のみ膚(はだえ)に
   抱(いだ)きかかえて撫でさすり
   哀れみ給うぞ有難き

わたしは、地獄などあるとは信じないけれど、自分の中の邪悪は、幼いころから自覚していたように思います。
だから、賽院の河原の話が、恐ろしかったのでしょう。


映画 『悪人』をみていて、追いつめられた祐一(妻夫木聡)と光代(深津絵里)が隠れる灯台の灯りに 視覚を奪われたとき、なぜか 祖母の話を思い出していました。
暗闇を照らすスクリーンの灯台の閃光が、恐ろしい三途の川の河原で救ってくれた 地蔵さまのように思えたのです。

映画 『悪人』は、しんどかったです。
それは、この映画を観ているわたし自身のいやらしい部分、同時にかわいそうな部分が、映画の登場人物ひとりひとりに映し出されているように、錯覚したからでしょう。

ただ、祖母から聞いた賽院の河原の話が、免疫になっていました。
悪人の自覚、というと大げさですが、それがあったから、気持がどん底まで沈んでしまわずに済んだように思います。

明るさばかり追い求めていては、得られないもの。
生きることは、本来陰気な部分が大半なんだと。

嫌だった 「賽院の河原」の話は、生きる肥やしだったんだ。
映画 『悪人』は、それを教えてくれました。