立松和平 |
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作家・立松和平が、今年の2月に亡くなりました。
多臓器不全という病名の死でした。
享年62歳、ぼくの二つ年下です。
波長の合う 同世代の作家というものは、そう ざらに見つかるものではありません。
大ファンでした。
ぼくのできないことを いとも自然にこなし、ぼくの行けない場所に 精力的に飛び回っていた。
元気いっぱいだったという印象が強すぎて、彼の死は 少なからずショックでした。
立松和平の絶筆となった作品 『はじめての老い さいごの老い』(主婦の友社刊)のなかで、彼が父上の告別式で挨拶する場面が描かれています。
「父は愚直でした ―」という出だしで始まる挨拶です。
「― 父は正直者で、名もなく、実直な働き者でした。
父は同世代の人たちと同様 戦争でたいへんに苦労しましたが、幸いに命ながらえて 故郷に
帰ってきて、 ここでも実直に働き、私たち家族を支えてくれました。
この国は、父のような無数の大衆がつくり上げた国なのだということを、今、棺を蓋うにあたって、
私は考えました。
父は功名心があるわけでもなく、大衆の一人として黙って生き、黙って死んでいきました。
そんな父を、私は誇りに思っています。」
先日、息子と昼食をともにしているとき、話題が葬式のはなしになって、ぼくの葬式をやってくれるんなら なるべく地味にしてくれよな、と言いますと、息子は笑いながら
そっぽを向いてしまいました。
ぼくは、言うならいましかないと、立松和平の父上の告別式でのあいさつを口真似して、こう続けました。
「お前がおれの告別式に挨拶するときは、立松和平のように言ってくれよな」
息子は、ますます横を向いてしまいました。
そばから 家内が、
「そんなことは、本人が言うことじゃぁないでしょ!」
と、ぼくを諭しました。
もっともです。
誰だって、若いときがありました。
そして 若さは、誰もが最初で最後の経験です。
同様に、誰だって老いるときは 初めての経験です。
そして 老いも、一度きりの経験です。
ぼくには、ひやひやものです。
立松和平も、死にいたる病の期間が短かったにしても、苦しかっただろう、怖かっただろう。
でも 傍目には、理想のフェイドアウトの姿でした。
立松和平は、最後まで ぼくの理想の姿で、人生を駆け抜けて 逝ってしまいました。
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