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鳩時計

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もう おととしのことになる。一大決心をして、納屋の整理をした。
よくやったと思う。
いまなら ものを捨てることに、体力的にも気持的にも あんなに強くはなれないだろう。

去年の年末に亡くなった大女優・高峰秀子さんが、なにかのエッセイに こう書いていた。
自分のものは もう、箸と茶碗があればそれでよい、と。
納屋を整理するに当たって、この言葉を “心がけ”とした。

ところが実際に整理し始めると、両親や祖母の想い出が染みついた品々や、子供たちの成長の証しのようなものばかり。
心を鬼にして、両親と祖母の匂いのするものは捨てることにした。
姉二人に関する品は、ぼくなりに厳選して、それぞれに送った。
子供たちのものは、やはり捨てられず、息子と娘の分に分けて 大きな段ボールに詰め込んだ。
それらの取捨は、いつか彼らが判断するだろう。


さて、自分と家内のものだが…
家内のものは ほとんどが子供たちのもので、家内自身のものは はなから捨ててちょうだいとのことだったので、ぼくの判断で数点を残した。
ぼく自身のものは、残すのは三点だけ、と決めていた。
これは賢明だった。

その三点は 次のような、実にくだらない、でも ぼくにとってはどうしても捨てきれないものだ。

一つ目は、幼いころから中学の終わりまで ぼくを親身になって世話してくれた人が、高校の入学祝いを兼ねて別れの品としてぼくにくれた、ロダンの考える人の小さな石膏。
このロダンの模刻を見慣れていたお蔭で、高校のときに出たあるクイズ番組で、「ロダンの考える人」の肘のつき方を問う問題に正解して、みごとチャンピオンになった想い出がある。

二つ目は、黄金虫は金持ちだ…のメロディーのオルゴール箱。
これは、祖母がぼくの何歳かの誕生日に贈ってくれたもの。
このオルゴールの箱の中に、幼かったぼくの宝物が詰まっていた。

三つ目は、母がなにかの折りに ぼくに欲しいものを尋ねてプレゼントしてくれた、鳩時計。
母からは 言いつくせぬ有形無形の数々をもらったが、ぼくの希望をはっきりと聞いてくれたのは、この鳩時計だけだったように思う。

この鳩時計は いま、ぼくの小さな書斎の壁に掛っている。
掛けた当初から、ポッポという まともな鳩の声ではなく、キツツキが木の幹を叩くような音がしていた。
鳩時計でなく、キツツキ時計ね、と、家内にからかわれたりした。
それが いつしか、そのキツツキの音も出なくなり、振り子のコチコチという音が やけに耳につく。
振り子の長さを調整するのだが、時刻も なかなか正確にならない。

それでも ぼくは、毎朝欠かさず 錘を巻き戻す。
三つある錘のうち、ポッポの音用を無視して。