YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
元旦の雪

文字サイズを変える
文字サイズ大文字サイズ中



雪国の冬の苦労を知らない ぼくは、元旦の雪に 子どものころに還ったようにはしゃいでいました。
山陰に降った年越しの雪は、はしゃいでいたことが恥ずかしくなる事態を 引き起こしていたのですね。


9.11という数字には、アメリカ人だけでなく 世界のみんなが、怒りを伴った悲しい感情を思い起こさせます。
でも 同じように怒りを伴った悲しい思い出でも、1.17に ぼくたちが抱く感情とは、異質のように思います。
感情の向く相手が、人間か自然かの違いであり、そのことが、両者の感情を決定的に違わせています。


8.15は、20世紀の日本人の 大きな大きなターニングポイントでした。
それに劣らず、20世紀末に起こった1.17は、21世紀の日本人のありようを予見する 天が授けたターニングポイントだったのではないでしょうか。


1.17、あのとき、わたしたちは、わたしたち自身の無力さを悟りました。
わたしたちの怒りは、自然に向いていたに違いないのですが、それはとりもなおさず、自然に向かう自分たち自身の無力さに対する怒りだったのです。
そして 何よりも大切なことは、無力を自覚した悲しい人間同士が、助け合うことを思いだしたことです。
助け合うことを、ごく自然な感情として認識できたことです。
9.11と1.17の悲しみの、根底からの違いです。


元旦の朝、国道9号線の大雪で立ち往生した多くのドライバーや同乗者たちに、暖かい手を差し伸べた鳥取県琴浦町の人たち。
このニュースを聞いて、元旦の雪にはしゃいでいたことも忘れて、ぼくは 真っ白な雪に劣らず清らかな気持ちになれました。
日本の片隅の、琴浦町の人たちの優しさに、心からうれしくなりました。

雪の被害に遭われた方々の苦労そっちのけにして 罰当たりな言い方ですが、いい元旦の雪でした。