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エキスポランド事故の教訓

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5月5日の子どもの日に起きたエキスポランドでの事故は 痛ましさに身震いが起きるが 同時に ものづくり屋として貴重な教訓を覚える。

「機械ものは 故障することが大前提」
これは 長年 機械のメンテナンスにいやというほど痛い目に遭ってきた機械屋のはしくれが 身にしみて確信する事実である。
機械に限らない。 形あるものは いつかは壊れるのである。
このことを これほど技術が進歩したといわれる日本の 機械ものに携わる人間が忘れかけている としか思えない現状なのだ。

あの 日本が誇る建造物 “五重塔” でも、 建ったときの技術のすばらしさだけで 千年以上すっくと立ち続けることはできない。
百年ごとの大修理、その間の数十年ごとの小修理を経てはじめて、あの勇姿を今も仰ぐことができるのである。

今回の事故のニュースに接して たまらなく情けなく メンテナンスを軽く見た関係者に 責任の誰彼を離れて 強い憤りを感じる。


機械のメンテナンスは それを作ったものと使っているものが 等しく負わねばならない義務である。どちら側かにのみ 責任を押し付ける類のものではない。
いや 本来 “義務” とか “責任” とかの問題ではない。作ったものが 娘を嫁に出したごとく その行く末を気遣っておれば、使っているものが 我が子のごとくいとおしんで 掃除や点検をおこなっておれば、ことさら メンテナンスなどという言葉は要らないのだ。あまりにも ものを粗末に扱いすぎる。


エキスポ社は、今回事故を起こした 立ち乗り型ジェットコースターのメーカーが、事故の原因とみられる 50φの車軸を 「消耗品」として扱わず、 耐用年数や交換年限の指示がなかった としている。
もしこのことが 事故原因究明の争点になるのならば、われわれ機械メーカーは 「消耗品リスト」に 心して対しなければならない。

たぶんメーカーは、 なんでもかんでも 「消耗品リスト」に挙げようとするだろう。
PL法実施に伴って ベタベタ貼られだした 「安全喚起ラベル」を想起してしまう。肝心の「消耗品」、 肝心の「安全喚起」 が 希薄化してしまうのである。

正直なところ、メーカーは ほんとうの「消耗品」を把握しきれているだろうか。
ことに 繰り返し製造の頻度が少ない産業機械メーカーでは、その製品は成熟機種でないことが多く、長年使用することで浮かび上がってくる弱点を当初に予想しにくいのが 常である。
15年以上も経って現れてくる 「消耗」を 当初からユーザーに明示することは、むずかしい場合が多いにちがいない。
もし、メーカー・ユーザーの “責任” の所在をうんぬんするのであれば、使用年数・使用頻度の或る線で 区切らざるを得ない。
つまるところ ものを使いつづけるということは “メーカーの良心” “ユーザーの良識” に 負わねばならないのである。

このたびの 起こってはならない事故は、明らかに人災である。事故に遭われた死傷者ばかりでなく、 せっかくの楽しかるべき子どもの日に、悲惨極まりない事故を目撃した多くの人々もまた 心の犠牲者である。
事故を起こしたものの責任は 限りなく大きい。