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良寛さん

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禅の高僧で、“さん”付けして呼べるのは、一休さんと良寛さんでしょう。

一休さんへの思いは、以前に少し書かせてもらいましたが。
汲み尽くせない魅力に満ちた禅僧ですが、その凄まじさは こわいほどで、一休さんの 『狂』には、逆とんぶっても 着いて行けそうにありません。

良寛さんとて 雲の上の和尚さんに違いないのですが、良寛さんの 『愚』には、なんとなく近寄っても構わない気になれます。

一休さんについても良寛さんについても 優れた小説を残した作家・水上勉の言葉を借りれば、「結局、良寛さんを語ることは、自分を語ること」 なのだと思います。
そして 良寛さんなら、くだらない自分の話にも 黙ってうなずいてくださる、そう思えるのです。

一大宗派をなした大僧正のような聖たちには あまり興味を抱かないのですが、妙好人を含めて、林下で仏教の道を極めた求道者に、強く惹かれます。

ブログ 「加藤わこ三度笠書簡」で わこさんが書いてられる “アノニマス賛歌”が、ぼくの心の底にも流れているのだと思います。

良寛さんは、自分のことを 『大愚』と称されました。
玉島の円通寺で 血を吐くような修行をされた良寛さんですら、自分を大バカ者だとおっしゃったのです。
ちっぽけな愚か者が、これを知って 何をもがくことがありましょう。

つぎの歌は、ぼくのいちばん好きな良寛さんのお歌です。


     善行の蛍は 招けども来たらず
     煩悩の蚊は 払えども去らず
     雑行の団扇を捨てて
     他力嬉しや 蚊帳の中