マイ・バック・ページ |
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第一印象というものに、以前のわたしは かなりの自信を持っていた。
ところが 最近、この第一印象が ことごとく覆されている。
『マイ・バック・ページ/ある60年代の物語』 を著した、1944年生まれの川本三郎氏も、そのひとりだ。
先日 わたしのお気に入りの喫茶店で、川本三郎氏著 『いまも、君を想う』 を読んでいた。
三年前に亡くされた奥さん、ファッションジャーナリストの川本恵子さんへの、思いの丈を綴った単行本だ。
喫茶店のBGMに、ジョーン・バエズが歌う “ドンナドンナ”が流れていた。
ある雑誌に 川本氏が語っていた言葉が、いまでも引っかかっている。
「本当に重たい経験をした人は、多くを語りたがらない」
わたしは、そんな “本当に重たい経験”をした訳でないから 多くを語り過ぎるのだが、そのことを自嘲気味にいつも後悔している。
ところが、ジョーン・バエズのドンナドンナを耳にし、勘違い的に反発を感じていた川本氏が 奥さんへの思いを あんなに人間味ある文章で綴られると、自分も同世代の人間として、60年代後半のマイ・バック・ページを
めくり返さないではいられなくなる。
2月6日付けの新聞に、永田洋子死刑囚が東京拘置所で病死したと報じていた。
わたしと同い年である。
同記事に、瀬戸内寂聴さんが、「死刑ではなく、病死と聞いてほっとした」と語っておられた。
わたしも同感である。
永田死刑囚が起こした事件は、絶対に許されることではない。
でも、なにか とても悲しい。
永田死刑囚と紙一重の違いで、心情的にせよ、あの時代を生きた同世代人も多くいるはずなのに。
永田死刑囚らが起こした山岳ベース事件での集団リンチ殺人、そして ニューレフトの終焉を知らしめた <あさま山荘事件>への流れは、窮地に追い込まれた人間が辿る
最も醜い姿であった。
一般市民の心情から完全に浮いてしまった新左翼運動は、味噌も糞もいっしょくたに 葬り去られてしまった。
たぶん、あの時代の多くの同世代人は、自分なりの距離を置きつつも、ニューレフトの学生たちが必死に叫び続けていた 「自己否定」に、なんらかの心の動きを感じたはすである。
強弱の差はあれ、それぞれの 「自己否定」は、自分自身の生き方を真摯に見つめなおす きっかけになったはずである。
わたしも、そのひとりであった。
なにが悲しいかと思うに、あの時代を生きた者にとって あんなに大切な時代を、腫れもの扱いして葬り去った社会の流れである。
あんなに輝いていた時代を、無理してでも忘れ去ろうとした自分である。
映画 『太平洋の奇跡』を観た。
サイパン戦を描いている。
敵対するひとりの日本人将校、大場大尉という主人公に、尊敬の念を抱いていた 元アメリカ海軍隊員の目を通して書かれた戦史叢書を、基にしているらしい。
大場大尉役の竹野内豊はじめ、スタッフもキャストもすべての関係者が、“戦争を知らない世代”である。
わたしたちの親の世代が観たら、これが戦争映画かなぁ、と思うかもしれない。
きわめて乏しい戦争知識しか持たない わたしでも、ちょっと違和感を持ったのは、否めない。
でも、いい映画だと思った。
人間のどうしようもない醜さを これでもかと見せつけられるよりは、いやらしい悪人のいないこの映画には、救いがある。
正しく生きることへの勇気を、湧き立たせてくれる。
戦争を知らない世代の、新しい、たぶん正しい、戦争認識の兆しだ。
60年代後半から70年代初めを走り抜けた同世代人では、おそらく描けない映像が、戦争を知らない世代の戦争映画 『太平洋の奇跡』と同様に、映画 『マイ・バック・ページ』として、近々観られそうである。
あの時代を知らない世代の役者さんたち、妻夫木聡や松山ケンイチが、川本三郎氏の 『マイ・バック・ページ』を どう表現するのか、いまから楽しみである。
あの時代を回顧的に美化するのではなく、あの時代を知らない新鮮な目で真剣に眺めて、はっとするような息吹を吹き込んだ <マイ・バック・ページ>であってほしいと願っている。
次へつながる鎮魂歌であってほしい。
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