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若い僧侶の声明に救われた

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久しぶりに、松並壯君から 電話が掛ってきた。
相変わらず、張りのある声だ。
少し元気をもらった。
当社のホームページに寄宿しているぼくのブログが このところ空き家なので、ちょっと心配して 掛けてきてくれたのだろう。

何もできないくせに 被災地の心情に勝手に同調して、無力感にさいなまれる日々が続く。
文字にすれば、安っぽい慰めの言葉の羅列になってしまう。
西日本にも じわじわと押し寄せる “不都合な”事態に忙殺されているせいにして、ブログからも 遠ざかっていた。


けさの新聞に、がれきの山に降り続く雪の中の岩手県山田町で 素足にゴム草履姿の若い僧侶が お経を唱える映像が載っていた。
あぁ やっと現れてくれた、そんな独りよがりな思いで、雪やがれきに同化したような若い僧の合掌姿を、しばらく見入っていた。

多数の土葬棺が浅い土の中に並べられた傍らには、市の厚生課の疲れ切った表情の職員が たったひとり付き添っているだけ。
お経のひとつでもあげてあげられるお坊さんが、どうして立ち会っていないのだろう。
そんなニュースの映像を見て、事情もわからないくせに、勝手な腹立たしさに駆られていた。

この若い僧侶は、盛岡市にある禅寺の28歳のお坊さん。
宮古市に入って野営しながら南下し、被災地を彼なりに鎮魂したいとのことである。
倒壊した家屋の前で深々と一礼し、小雪が舞うがれきを縫うようにして、声明しながら去って行った。

般若心経すら諳んじることのできないぼくだが、気持だけは この僧侶に寄り添っている。
被災地を鎮魂して歩くこの若い僧侶が、何もできない自分に代わってやってくれている、厚かましくもそう思えてならない。


「がれきの残るところには、人の思いが詰まっています。
被災地や復興に関わる人たち、そして多くの人を連れ去ったであろう海にも 畏怖の念を込めて合掌したい」

彼の言葉に、のほほんと生活できている自分を恥じながらも、なにか救われる思いがした。