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没後の門人

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没後の門人。
この言葉を、鶴見俊輔著の 『かくれ佛教』で知った。

鶴見俊輔氏は、自分を、6歳年下の故・河合隼雄氏の 「没後の門人」だと言う。
彼には、年齢なんて関係ない。
彼は、次々に河合隼雄氏の著作を読む。
読んでいるうちに 自分が仏教のただ中にいるような気がする、と言うのだ。

例えば と、こう述べている。

  例えば、河合隼雄はこういうことをいうんだよ。
  日本ではわりあいに離婚率が少なくて、老夫婦が共にいる。
  しかもいまは寿命が長くなってきた。
  このつながりというのは、仏教ではないですか。
  私はそこに、河合隼雄の切り開いた仏教のとらえ方があると思った。

この記述に至って ぼくは、小津安二郎監督作品の映画 『東京物語』を思った。
熱海の海岸だったろうか、笠智衆と東山千栄子が並んで腰かけて、海を眺めるシーンだ。
鶴見俊輔氏が河合隼雄氏の書物からくみ取ったもの、それは あの年老いた老夫婦の後ろ姿に滲み出ているものに違いない。

河合隼雄も、鶴見俊輔も、なんて素敵なんだろう。


没後の門人、これに似たような思いを、先日訪ねた 「司馬遼太郎記念館」で味わった。
自分が 司馬遼太郎の没後の門人などと、そんな不遜なことが言えるわけない。
でも 不遜でも、そうなりたいと心から思う。
司馬遼太郎記念館を訪ねて、この思いが いっそう強まった。

訪ねた時期が ちょうど菜の花の季節で、記念館が菜の花で埋め尽くされていた。
司馬遼太郎が大好きだった花だ。
安藤忠雄の設計に成るこの記念館も素敵だし、それを守する人たち、たぶん みんなこの東大阪近辺のボランティアだろう。
この人たちの対応が、とても素敵なのだ。
きっと みんな、司馬遼太郎が大好きな人たちばかりなんだろう。

展示室に広がる吹き抜けの部屋の壁という壁に、ぎっしりと並んだ司馬遼太郎の蔵書。
彼の著わす一字一句は、これら膨大な書物から抽出されたんだなぁ。
すごい、ほんとうに、すごい。

フロアの一隅に、司馬遼太郎の作品が一堂に並べられている。
これらの1パーセントもまだ読んでいない。
これからだ。
ドキドキする。
地下鉄の中でも、待ち合わせの合間でも、公園のベンチに腰掛けながらでも、これからの人生、いくらでも読めそうだ。
けれど きっと、司馬遼太郎の本を読み尽すことはできないだろう。
だから、希望がある。
楽しみがある。


没後の門人の、ひそかな楽しみである。