わたしは、親鸞を知りたかった。
『歎異鈔を聴く会』で
金子大栄先生の講義記録「歎異鈔は仏教の人生観である」という書物を知り、真剣に読んだ記憶がある。
親鸞聖人700回大遠忌の頃である。
その後も、“親鸞”という字に触れる機会ごとに、理解したいという一念で 自分なりに考えた。
どだい
理解しようなどと考えること自体、ど厚かましかったのである。
なかなか「歎異鈔」の真意が判らず、親鸞という聖人も、いつしか
ただ遠くからあこがれるような、そんな疎い存在になっていった。
親鸞聖人750回大遠忌に当たることし、司馬遼太郎の「勇気あることば」という
短いエッセイに出会えた。
毎日新聞1967年5月14日朝刊 日曜特集版に載った、親鸞に関する記事である。
たった原稿用紙3枚ほどの、いや
たった原稿用紙3枚ほどの短さだからこそ、グサッときた。
目から鱗が落ちる、とは このことか。
司馬遼太郎に
一喝していただいたような、まことにさわやかな心境である。
親鸞の晩年、京にいるころ、かって教化した関東の門人たちが念仏してはたして往生できるかと、根本義に疑念を感じてたずねてきたところから
エッセイははじまるのだが・・・
御託を並べるより、全文を紹介したい衝動にかられる。
でも
それは、してはいけないこと。
身震いするようなくだりだけ、許してもらおう。
宗教は理解ではない。信ずるという手きびしい傾斜からはじまらねばならない。
(中略)しかも親鸞はいう。この上はおのおの、念仏を信じようとも捨てようとも、おのおのの一存にされよ
---信とはそういうものであろう。
さらに親鸞はいう。
「親鸞は弟子一人(いちにん)ももたずさふらふ」
信仰はおのれの一念の問題であり、弟子など持てようはずがない。教団も興さず、寺ももたぬ。
なぜならば弥陀の本願にすがり奉って念仏申すこと、ひとえに親鸞ひとりが救われたいがためである。
右のようなことばの根源である親鸞の勇気は、かれがかれ自信を「しょせん地獄必定の極悪人」と見、
自分を否定し、否定に否定をかさねてついに否定の底にへたりこんだ不動心のなかから噴き出てきた
ものであろう。
親鸞聖人が
だいぶ近くになった。
「没後の門人」の、極めつけの恩恵である。