みすゞさんを好きな人 大好きです |
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冷たい雨が降っています。
雨の日を ぼくは嫌いではないのですが、京都でこんなに冷たい雨なら 東北の被災地は雪なんじゃ、とか思ってしまいます。
普通に過ごせているひとつひとつに、あぁそうだったのか と、申し訳ないような気持ちです。
数日前の新聞に、福島県三春町の滝桜が満開、という記事が載っていました。
「激励肥やしに、滝桜見頃」だそうです。
地震に耐え、たぶん いくばくかの放射能を浴びても、季節を違わず、見事な三段滝を咲かせているエドヒガンザクラに、口数の少ない東北の方々の忍耐強さを
かってに重ねてしまいます。
滝桜の開花は、被災地の人たちへの なによりの激励でしょう。
そのおこぼれを、ぼくももらっています。
ついこの間まで テレビのACコマーシャルに、金子みすゞの詩 「こだまでしょうか」が しきりに流れていましたね。
あの詩が、滝桜の開花と同じような作用をしてくれていたならいいのですが…。
東北にも 金子みすゞを好きな人はおおぜいおいででしょうから、きっと響いていますよね。
金子みすゞ展が、没後80年のいま、全国を巡っています。
1年前、大丸大阪心斎橋店で催されたのと同じような企画が、ことしも大丸京都店でありました。
ただ 会場の広さの都合で、大阪店で見られた 中島潔氏の大作画 「大漁2001---鰮のとむらい/するだろう---」は 見られませんでしたが…。
こんどは近いので、孫たちも一緒に見に行きました。
幼稚園で金子みすゞの詩になじんでいる 上の孫息子は、自分が知っている詩の 読めるひらがなを拾い読みしながら、ぼくのゆっくりした歩みに合わしてくれます。
「積もった雪」の前で立ち止まった孫息子が、ぼくをみあげました。
よんでくれ と言っているのです。
ぼくは、なんの衒いもなく、人の気配など 気にもとめず、みすゞの詩をちょっと小さめの声で よみあげました。
上の雪 さむかろな
つめたい月がさしていて。
下の雪 重かろな
何百人ものせていて。
中の雪 さみしかろな
空も地べたもみえないで。
じぃっとぼくの拙い朗読に聞き入る孫息子を、これほどいとおしく思うことはありませんでした。
孫のかわいくない爺さんはいないでしょうが、「積もった雪」を小さな心なりに理解していてくれることが、たまらなくうれしいのです。
明代の思想家・李卓吾の書簡に、こんな言葉が残っています。
「しかし、それは孔子の言葉にすぎぬ。あなた自身の言葉ではない。」
この言葉自身も、ぼくの言葉でないんですから、なおのこと グサリときます。
でも 金子みすゞの詩は、それを読むもの自身の言葉なのではないでしょうか。
うまく言えない自分の心を、みすゞの詩は やさしいことばで表現してくれる。
借りものでなく、それは紛れもなく自分自身の言葉なのです。
いま、日本だけでなく 世界中の人々が、金子みすゞの詩のようなやさしさをもっていると感じます。
いまわしいはずの東日本大震災が、こんな人間の美しさを教えてくれるのは、神の計らいでしょうか。
みすゞを好きな人 大好きです。
きっと みんな、みすゞを好きだろうから、みんな大好きです。
[追記]
女優・田中好子さんの 死の淵からのメッセージ、心が大きく動きました。
なんと強い人なんだろう。
そして、なんてやさしい人なんだろう。
被災地への大きな大きな はげましになるでしょう。
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