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近江に感謝

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ブログを通じての大先輩である 柳居子さんから、いい本をいただきました。
松浦俊和著 『近江 古代史への招待』(京都新聞出版センター刊)。
ぼくの半分の血が 江州人であることを、知っていてくださったのです。

すっきりした装丁に 判りやすい文章。
考古学者から眺めた古代近江が、すんなり入ってきます。
改めて 近江という地を、身近に感じることができました。


滋賀県 と言えば、近江 すなわち琵琶湖ですね。
近江は、琵琶湖という 日本一大きな淡水湖を指すと同時に、滋賀県全体を表しています。
滋賀県は、琵琶湖なしでは考えられません。

滋賀県だけではありません。
京都はもちろんのこと、琵琶湖を源とする淀川に潤されている下流域の大阪も そして兵庫の一部も、琵琶湖の恩恵なくしては ありえないのです。


京都には、疏水があります。
京都の先人の偉業である疏水は、京都人の誇りであり、同時に命綱です。
飲料水や灌漑用水のため、だけではありません。
京都に疏水があることで、京都人は身も心も、どれほど潤っていることか。

愚かにも 長いあいだ、疏水は固有名詞だと思っていました。
ぼくの頭の中の疏水は、正しくは 「琵琶湖疏水」だったのです。
水道の水は琵琶湖の水 ということが、意識にのぼらないほど 当たり前だったのです。


30年くらい前になるでしょうか、水道水が そのままでは飲めないくらい生臭くなったことがありました。
琵琶湖の富栄養化による赤潮が原因でした。
水道の水は琵琶湖の水、ということをはっきり意識したのは、このときでした。
仕事の関係上、排水処理について少し勉強していたときです。

「琵琶湖条例」という、当時 瀬戸内海条例より厳しいと言われた環境保護条例が施行されたのは、その頃です。
すべての思考が 産業と消費の視点から出ていたあの時代に、滋賀県民は よくぞ立ち上ってくれました。
悲鳴をあげている琵琶湖を前に なんとかしなければ との思いが、滋賀県民の協力を産んだのでしょう。
滋賀県民の 琵琶湖への愛情だったと思います。

琵琶湖は 閉鎖性の高い湖で、19年に一度しか 水が入れ替わらないといいます。
あのとき 滋賀県民の決意がなければ、ぼくたちは 未だに臭い水を飲まなければなりませんでした。


きわめて個人的なことなのですが、ぼくが通っている歯医者さんは、近江八幡にあります。
なんでまた そんな遠いところまで と、よく揶揄されます。
近江八幡のこの歯医者さんが とても親切だからなのですが、どうも それだけではなさそうです。

新快速の車窓から眺める近江の風景が、こんもりと木々に覆われた里山が、気持ち良いのです。
車窓から見えなくても、琵琶湖を感じることができる。
ただそれだけで、気持ちがいいのです。


近江に感謝です。
近江を再認識できる機会をいただいた柳居子さんに、感謝です。