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高村薫さんの「この寄辺のなさから脱却するために」を読んで

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3月11日からいままで、新聞の切り抜きを クリアファイルに綴じ続けています。
朝日新聞だけですが、震災と津波と原発事故に関する記事で 心が震えたものを、切り抜いています。
目的はありません。
ただ 「寄辺のなさ」から、そうでもせずにおれない。

でも その数も、だんだん減っています。
記事の数も減っていますが、むなしさが切り抜く動機を減らしています。
16年前の阪神・淡路大震災のときとは異質の、むなしさです。


何が違うのか。
ぼく自身の年齢ということが、大きいと思います。
発生現場の近い遠いということも、あるでしょう。
それにしても、災害の大きさと驚きがつりあっていない。
作家・高村薫さんの表現を借りれば、「半分目を開いて半分閉じていて、絶望もしきれないし希望ももてない、という中途半端な心象」なのです。


そんなとき、毎月購読している雑誌 『いきいき』に載っていた 高村薫さんの 「この寄辺のなさから脱却するために」と題した寄稿文に出会いました。
寄辺がひとつ見えた気がします。

こんな見出しが、まず目につきました。


  地震国の日本で原発は止めると決める。そうすれば、心にひとつ安心が生まれます。


このたびの災害で いらいらする最大の理由は、原発事故です。
発生したものはしかたがない。
これからどうするか、です。

原発反対の声にも、賛成の声にも、戸惑いが感じられます。
その原因は、人間のエゴから発してます。
電力が足りなければ、産業が動かない。
そうなれば、生活が立ち行かない。
貧しくなる不安と、命の不安の交錯です。

それでも と、高村薫さんは発信されている。


  どんなに電力が足りなくても、地震国の日本だから、原発は止めると決断する。
  どうやって止めるか、後はどうするのか、そういったことを言い合う前に、とにかく止める。
  そうすれば安心が生まれます。晴れない心にひとつ安心ができます。
  いまの日本にいちばん足りないのは、将来に対する安心です。
  貧しくなる不安と命の不安だったら、命の不安のほうがずっと深刻なことは言うまでもないでしょう。


そうなんです。
地震も津波も怖いけど、防げません。
原発の不安は、止めれば消える。

高村薫さんは、こう続けます。


  ひとつでも不安を減らすことができれば、日本人の心象が変わります。
  それが新しいエネルギーが生まれてくる条件だと思います。

  電力会社とメーカー、経済産業省と政治家が半世紀押し進めてきた仕組みと決別する。
  当面は苦しいけれど、踏み出せば、新しい産業やいろいろなものが一気に動きだします。
  世界がうらやむような新しい社会が築けるかもしれない。
  そういう国を子どもたちに残さなくてはなりません。


これは、産業革命以来の 生活スタイル変更への、大きな大きな挑戦です。
エネルギーを使いまくって 豊かに暮らしてきた生活からの脱却です。

高村薫さんは、これを次の言葉で凝縮表現しています。


  少なくとも、窓が開けられるような暮らしにしなくては。


菅総理は浜岡原発停止を要請し、中部電力はこれを受諾しました。
正常な流れでしょう。
菅総理には、もっと大きな決断が待っています。

これまでのエネルギー政策の、根本的な見直しです。
それは、原発賛成反対などとは次元の違う、日本人の生活スタイルを問うものです。
“原発解散”と銘打ってもいいでしょう。
菅総理は、国民ひとりひとりに訴えかけるべきです。
ぼくたちは、選挙という手段でしか 国政を動かせないのですから。


高村薫さんは、この寄稿文で こう結んでいます。


  未来が見えてくる社会にならなければ、それは、復興したと言えない。


原爆を二発も浴びたこの日本こそ、原発に決別した 安心な未来が見えるエネルギー社会にならなければならない。
そういう社会を、子や孫に残したい。

高村薫さんの 「この寄辺のなさから脱却するために」を読んで、心底から そう思いました。