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聖林寺十一面観音立像

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遷都1300年祭を去年終えた奈良は いま、心なしか 訪れる人が少なくなったようです。
ことにここ 聖林寺は、桜井の町の南、多武峯(とうのみね)街道をやまのふもとまで辿った 辺鄙な場所にあるから余計、そう感じるのでしょう。

この聖林寺に、どうしても もう一度、拝してみたかった仏像があります。
天平仏の十一面観音立像です。
4月下旬の晴れた日に、それを見に 多武峯へ遠足しました。


天平仏には、推したい像がたくさんあります。
おととしあたりから超有名になった 「阿修羅像」、三月堂にところ狭しと立つ 「不空羂索観音像」やその脇侍の 「日光・月光菩薩像」、「唐招提寺・鑑真和上像」、「東大寺戒壇院・四天王像」…
枚挙にいとまがありません。

錚々たるこられら天平像のなかで、どれがいちばん好きかとの難問を投げられたら、ぼくは迷いながらも、聖林寺十一面観音立像と答えます。
その理由が、このたび この立像に再会して、はっきりわかりました。


信仰心の薄いぼくが言う資格はないのですが、信仰の対象としての仏像は、それにふさわしいお堂にあらねばなりません。
お堂だけではありません。
お堂を含め その置かれた環境、風景や匂いや湿気など いろんな要素を包括した環境が、その像をみる者に その者だけが抱く 感情を湧き立たせるのです。

国の貴重な宝を無事に保存するという 相反する条件を超えて、このシチュエーションは、仏像に対峙する ぼくのわがままです。
だから ぼくは、博物館で仏像を観るのを 好みません。

聖林寺十一面観音立像は、このぼくのわがままを すっぽり満たしてくれるのです。


花桃とはちょっと違うなぁと、紅紫色の花に気を取られながら なだらかな石段をあがると、山門に 「大界外相」と書かれた結界石が構えます。
この、清浄域と裟婆を区別する標識に気おくれて ちょっと佇むと、勝手に右手遠景が目に飛び込んできます。

さっき尋ねた大神(おおみわ)神社の大鳥居が、三輪山のなだらかな裾に 目立っています。
そこは、古代大和のふるさとです。
その古代大和を北に遠望できる山里の寺、ここが聖林寺です。

子安地蔵さまの本堂を左に、朱い敷物に導かれて階段を登ると、大悲殿の額がかかった鉄筋コンクリート造りの、十一面観音立像のためだけに造られた観音堂。
少し お堂の中で、外のまぶしさから 目を薄明かりに慣れさせないといけません。
目がお堂のなかの明るさに慣れてくると、ガラス仕切りの向こうに、大人の背丈よりかなり大きな 八頭身の観音像が、際立ってきます。
まことに美しい。

この観音さまは、写真うつりが悪いのです。
だから、こうやって直に拝さないと、この美しさが伝わってこない。

野暮な言葉では とうてい表現できないけれど、安らぐんです。
大きな立像なのに、ぜんぜん威圧感がありません。
光背もなく、脇侍もいないからかも 知れません。

前面の それも見上げる格好のお姿しか見えませんが、とても立体感が感じられます。
健康的な胸や腕の肉付き、少しくねらせた 天平仏独特の腰のひねり。
官能的なしな、ではありません。
清純な繊細さ、とも違う。
ひとことで言うなら、人なつかしいお姿なのです。

仏像の神髄は 目と手にある、といわれます。
この立像の目と手は、その神髄そのものです。
ことに、手の美しいこと。
そして、天衣の、得も言われぬ流れ曲線。


たぶん もう拝顔できるのは、これが最後だろう。
死を宣告された人間の言うことのような自分のつぶやきに、自分で苦笑い。
でも きっとこれが最後だろうから、しっかり この目に焼き付けておかないと…

長い間、いや 長い間とも意識せずに、十一面観音立像の前に突っ立っていました。