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乙女峠

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昨夜まで激しく降り続いた雨はあがったものの、乙女峠への山道は ぬかるんで、手すりに縋って歩かないと 足をすくわれそうです。
膝を少し痛めている家内には、少々きつかったかも知れません。
乙女峠マリア堂を 津和野の最後の訪問地に選んだことを、ちょっと後悔していました。

足元を、かなり急なせせらぎが流れています。
山の上の方の涼しい空気が、透き徹ったせせらぎの水に運ばれて、汗ばむ首筋を心地よくかすめていきます。
さっき この山道に至る手前の踏切で出会ったC57蒸気機関車の汽笛が、裾のほうから 吹き上がるように聞こえてきました。

木漏れ日が深い谷に射して、ぬかるんだ山道を きらきら輝かせています。
上から降りてくる一組の初老の男女が、「ごくろうさまです」と 挨拶してくれました。
そのあとは、名も判らない 甲高い鳥の鳴き声と、せせらぎの 岩にはじける音が、聞こえるばかりです。
乙女峠マリア堂へ至る浄化道やなぁ と、遅れて登ってくる家内に 話しかけるともなく、つぶやいていました。





「どちらからお越しなさいました?」
アリア堂の周りを掃除しておられたシスターが、声をかけてくれました。

「京都からです」
そう 家内が答えると、

「そりゃ ようお越しなさいました。京都から小京都へようこそ」

そのとき訪れていたのが わたしたちだけだったからでしょう、親しげに話しかけてくれたシスターは、作業の手を止めて マリア堂の中を案内してくれました。

10畳くらいの小さな聖堂のなかは、きわめて質素でした。
正面がマリア像の祭壇です。
両側の素朴なステンドグラスに描かれた絵を、シスターはひとつひとつ指し示しながら、この キリシタン殉教地 「乙女峠」の哀しい出来ごとを語ってくれました。

そのお話は、胸に染みました。
聖霊に満ちたこの場の雰囲気が、シスターのお話を一層、体中で受け入れられたのかもしれません。

ただ 信仰を持たない私には、ここにそのお話の記述を なし得るところではありません。
永井隆博士の絶筆の書 『乙女峠』(サンパウロ刊)に、託します。


マリア堂を出て、梢を抜けて射しこむ陽の光で そこだけが明るいマリア堂山側の平地を、ゆっくり歩きました。
三尺牢に閉じ込められた安太郎が、聖母マリアの幻影に慰められる場面を表した等身大の肖像。
真冬の池に氷を割って裸にして投げ込み、息絶えだえの者を引き上げて 火あぶりの拷問で責めつづけたという、池の跡。
おいしそうなお菓子にも‘ころばなかった’5歳の女の子モリちゃんら、36名の殉教者たちが、聖母を慕う姿を刻んだ碑…


小一時間ほど経っていたでしょうか、帰路を急がねばと、暇を乞うべく マリア堂のシスターをさがしたのですが みつからず、谷川沿いの道を引き返しかけたときでした。
「どうぞお気をつけてお帰りください」
マリア堂を支える小さな石垣のうえに立ったシスターは、そう 別れを告げてくださいました。

家内は、離れた位置のシスターに届くほど大きな声で、暇乞いの言葉を返していました。
私は ただ、深々と頭を下げるだけでした。