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神様のカルテ

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かかりつけのお医者さんは、気さくな先生です。
唐突なはなしにも 嫌な顔ひとつせず、ニコニコと合づちを打ってくれます。

このまえの定期診察のときも、ちょっと戸惑いながらも、ちゃんと答えてくれました。


「延命治療はいやなんですけど、先生に一筆入れといたらいいんですか?」

「なんぼ一筆入れといてもろても、医者としては延命治療はせんとあきませんのや」

「ほな、どないしたらよろしいんです?」

「ご家族の方に つね日頃から、ご意思をちゃんと伝えとかはるのが よろしいやろな」


先日の朝日新聞 『声』欄に載った、田中博子さん(下関市75歳 主婦)の投稿文が、印象的でした。
娘さんにではなく お孫さんに出された、最期の願いを託した手紙です。


 二つお願いがあります。
 一つは、私に痴呆が出始めたら、速やかに施設に入れてください。
 もう一つは、延命治療は絶対にしないでください。


田中さんは、お母さんから 「入院したときは延命治療はしないでね」と言われていたのに、お母さんが入院したとき、医師に 「延命治療はしないでください」と言えなかったそうです。
意識のないまま管につながれ 1年も生き続けたお母さんに、死後16年間ずっとわび続けている、というのです。

私にその時がきたら、彼女(お孫さん)は きっとこの手紙を親(娘さん)に見せて、私の意志を通してくれると信じている。
田中さんは、投稿文を そう結んでおられました。


子は 親の死に際では、冷静になれないのが つねです。
この手の最期の親のわがままを 子に聞いてもらうことは、なかなかむずかしいのです。
託されたお孫さんも ちょっとかわいそうな気もしますが、田中さんのお気持ちは ぼくにも、ひしひしとわかります。


映画 『神様のカルテ』をみました。
またも、いっぱい涙をながしました。
さわやかな涙でした。

栗原一止(桜井翔)のような先生に 最期を看取ってもらえた安曇さん(加賀まりこ)は、ほんとうに幸せでした。
ラッキーなのでしょうが、運がよい、だけではないようにも思います。
そのラッキーは、その人のもつ徳なのでしょう。


ぼくは、栗原一止先生に看取られる可能性は、限りなく薄そうです。
ならば、自分で “神様のカルテ”を、作ってやろうじゃないか。
不遜にも “神様のカルテ”を作れたとしても、それをだれに託す?
それが問題です。

誰かが 知らぬ間に、そっと見届けておいてくれるような方法で、知らせたい。

「延命治療だけはしないでください」
と。