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身体感覚を取り戻す

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台所に立っている家内の動きを見て、いつも感心させられます。
主婦の台所姿というものは、一種の職人の動きですね。
あれは 間違いなく、動作が同時進行しています。

仕事柄、毎日 “職人”に接しています。
年季の入った職人の動きには、無駄がない。
スパナひとつ取るのでも、いつの間にか手に入っている、という感じです。
使い終わったスパナは、それもいつの間にか元の位置にキチンと置かれている。
コトリとも音をさせないで、です。
そう気づいた時には もう、次の段取りに入っている。
まさしく、同時進行の動きです。
見ていて、気持のいいものです。


NHK総合テレビで毎週木曜日に放映している 『爆笑学問』、ときどき見ています。
放映時間が遅いので、ときどきですが…
先週は、武術家・甲野善紀氏を 爆笑問題と柔道家・吉田秀彦氏が尋ねる、という番組でした。

甲野氏の古武術家としての持論、“蹴らない、ねじらない、ためない、うならない”には、太極拳を齧る者として 強く惹かれていました。
甲野氏の動きは、逆立ちしても真似などできるものではありませんが、剣の達人の動作を極めた彼の思考には、とても参考になるものがあるのです。

この番組を見ていて、本来の “動物としての”人間の動きは 同時進行的である、と納得しました。
そして、「便利は 人間に不便なのだ」という彼の真意も、良く理解できました。


話は飛びますが、むかし教養部に入ってすぐに、担当教授がこう言ったのを思い出しました。

「私は教師だから あんたたちに教える義務がある。だから 教えはする。しかし学ぶのは あんたたちだ。学ぶのまで 私はめんどうはみない。」

高飛車な先生だなぁと そのときは思いましたが、教わることと学ぶことの違いを諭したかったのだと、今なら解ります。


番組 『爆笑学問』を見て、この 「教わることと学ぶことの違い」を再確認しました。
甲野氏の “辛い肉体労働を楽してこなそうとして得た筋肉の途絶えた伝承”の話を受けて、太田クンがこんな発言をしました。

…「おれの動きを盗んで学べ」的な伝承のしかたは、いまの時代 無理なところもあると思うんですよ。
だから 教える側は、伝えようとすることがらをアナリシスして、ひとつひとつ順序立てて検証して、わかりやすい情報とする。
それが、科学だと思うんです。
受ける側は、それらたくさんの情報を知っただけじゃぁダメ。
そこから自分の血となり肉となるものを選びとって、自分の体内で同時進行的にシンセシスする。
それが、学ぶということだと思うんです…


いま受け持っている気功太極拳教室の副題は、「身体感覚取り戻し」です。
これは、この教室の講師をしていただいていた西村加代先生からの引き継ぎで、斎藤孝著 『身体感覚を取り戻す~腰・ハラ文化の再生』(NHKブックス)からお採りになったものだと思います。

甲野善紀氏もおっしゃっているように、動物の一種族である人間は 磨けば備わる驚くほど高い身体能力を秘めている と、ぼくも信じます。
甲野氏のような驚異的な身体能力は とうてい得ることはできないでしょうが、太極拳二十四式を繰り返しくり返し 馬鹿のひとつ覚えのようにやっているうちに、自分自身の体に秘めた すばらしい能力に気づくときが あるはずです。
きっとあります。
こんな私でさえ、ほんのちょっとですが、そう思える瞬間があるのですから。


はっとする身体感覚の悦びを “科学”して 伝えられたら、すばらしいことですよね。
そうなりたいと、心から願っています。