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平清盛像

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もうあと45日ほどで、事が多すぎた平成23年が終わります。
ほんとに、一年がはやく感じます。
すぐ、お正月ですね。

正月にいただく梅昆布茶、小さい梅干と結び昆布の入った あのお茶が、小さかった頃は苦手でした。
ちゃんと飲み干すとその年 風邪知らずで過ごせるからと、無理やり飲まされたのを 懐かしく思い出します。

いまから千年前 京の都では、悪疫がはびこっていました。
空也上人は、自ら刻んだ十一面観音菩薩像を荷車に載せて 市中を曳き廻り、この梅昆布茶を菩薩にお供えしたあと お下がりものとして、おびただしい数の病者に 授けて歩いたといいます。
茶も梅干も昆布も、当時は貴重なお薬でした。
南無阿弥陀仏を唱え続けながら歩く空也上人は、病める者にとって 菩薩そのものに見えたことでしょう。
ついに病魔は、都から追い払われたと伝えられています。

あの梅昆布茶は、そんな謂れを持っていたのですね。


京都のまちなか、松原通り大和大路角を東に入って南に下がったところに、六波羅密寺というお寺があります。
ちょっとわかりにくいところです。
空也上人が開かれたお寺です。
西国三十三ヵ所第17番目の札所でもあります。

京都のまちなかには、空也上人にまつわるお寺や地名が 多くあります。
仏光寺通りを寺町通りに行きあたったところには、空也寺があります。
錦小路通りの 油小路通りと西洞院通りに挟まれた地域は、空也町といいます(娘家族が住んでいる町内です)。
蛸薬師通り油小路西入ルには、空也堂という 念仏道場としてのお寺があります。
醍醐天皇の次男坊であるにもかかわらず、弱きものを心底思いやる‘市の聖’空也上人が、いかに京の民衆に親しまれていたかが うかがえます。


ところで、六波羅密寺というお寺ですが、ぼくは大好きです。
京都らしいお寺です。
奈良のお寺は立派です。
でも、ちょっと近づきがたい気もします。
京都の何々さんと呼ばれているお寺は、町内のお地蔵さんに似た親しみを覚えます。
高い拝観料を払わないと入れないお寺も多いのですが、そういうお寺は観光客にお任せします。

ほんと言うと、観光客に申し訳ない気持ちなんです。
なんで、あんなに高い拝観料や駐車料をとるんでしょう。
アベックで4~5か所の寺をはしごしたら、万札が消えるんですから。

ちょっと話がそれますが、そもそも 神社仏閣の拝観料に消費税が課されないのは、喜捨だからでしょう。
ならば 本来は、拝観料はお心持だけで結構です、とするのが筋じゃないでしょうか。
宗教活動の非課税扱いには いろいろ議論があると思いますが、少なくとも現行のような強制拝観料は 課税対象とすべきだ、と ぼくは思います。

古都税紛争の蒸し返しのような、いやな話をしてしまいました。
戻します。


六波羅密寺の本堂は、だれでも自由に拝することができます。
仏像に興味のある人は、本堂の裏にある宝物館に お金を払って入館します。

ここに安置されている14体の仏像は、どれも見応えがあります。
見応えなどという表現は いかにも不信心なのですが、正直言って ぼくはあまり信心深い方ではありません。
心に響かない仏像には、目もくれません。
罰当たりなことです。

平清盛像、とてもいい肖像彫刻です。
おそらく だれもが抱いている清盛像は、もっと傲慢な もっと華美なイメージではないでしょうか。
平家物語からの強い影響でしょう、ぼくも そういうイメージでした。
でも この晩年清盛の坐像は、諦観の人そのものです。
甘いも酸っぱいも味わい尽くした、贖罪の日々を悲しげに送る 身近なおじいちゃん、といった印象を受けます。
この清盛像、ぼくは大好きです。

ピカ一の肖像彫刻は なんといっても、唐招提寺の鑑真和上坐像でしょう。
運慶一派の代表作、興福寺北円堂の無着・世親立像が 日本を代表する肖像彫刻であることは、みなが認めるところです。
これらは崇める対象です。
煩悩を払ってくださる、霊像です。

清盛坐像は、もちろん崇めてもいいんです。
崇めるに値する 悶々たる贖罪の日々の果ての姿だから、自然と合掌してしまいます。
でも、おじいちゃん、と声をかければ、にっこりしてこちらに振り向いてくれそうな、愛しい姿でもあります。
そうです、愛しいんです。


  重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば

布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧、これら六波羅密は 彼岸に渡るためのチケットだと、瀬戸内寂聴さんはおっしゃっています。
五逆罪にひとしい争いを生き抜いた清盛が、平家と縁の深いこの地に、念ずれば彼岸に渡るためのチケットが授かるという六波羅密寺に、浄海入道の姿となって安置されていることに、ひとごとでない安堵を覚えます。

清盛坐像とじっと対して、栄華を一気に極めて急没落した平家の総帥に 想像を掻き立てられながら、そんな感傷に浸りました。