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「線引き」への問いかけ

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建築家・丹下健三の自伝 『一本の鉛筆から』をイントロにした 「甲乙閑話」(担当記者:大西若人氏)を、けさの朝日新聞で読んだ。
三年に一度開かれる建築界の五輪、「世界建築会議」の様子を伝えた談話だ。
日本では初開催だったが、高揚感希薄な会議だったようで、いまひとつ盛り上がりのないまま 先月はじめに終わった。

そんななかで 大西記者は、「そろそろ、線を消していくことを考えてはどうか」という議論に注目して、建築家・伊東豊雄氏の発言を採り上げている。
東日本大震災を踏まえて 伊東氏は、「津波も原発事故も人災。(防波堤や格納容器という)一本の線で自然と人間を分けるという手法は間違いだった」と指摘。
「もっと柔らかな境界、自然に近いシステムを考えるべきだ」と提案した。


若いころ、ぼくは丹下健三に憧れた。
興味の湧かない教養部での授業をほっぽり出して、東京カテドラルを見たさに上京。
二日間 飽きもせず、東京カテドラルの廻りをうろついていた。
HP(双曲放物面)シェル構造の建築物に、なにか 言うに言われぬ可能性を秘めた未来を見るように感じた。
だが それは、やはり幻想だったのかも知れない。

言うまでもなく 建築は、空間を線引きして 天井や壁にすることで成立する。
紺碧の海をバックに 真っ青な空を突きさすように建つ石造りの西洋建築には、明確な境界線がある。
しかしながら 古来から日本の家には、はっきりとした線引きは認められなかった。

人工的な直線に乏しい庭に面して広く張り出した縁側、障子を透かして射し入る淡い陽の光、長い廊下を吹きぬける風…
材木や障子紙が本質的に自然の一部であるように、日本の家屋は、古来 本質的に自然の一部であった。

二重窓、エアコン、断熱材、防音壁…
コンクリートの壁に閉じ込められてしまった現代日本人は、果てしなく自然から遠ざかざるを得ない羽目に陥ってしまった。


伊東豊雄氏が指摘する問題は、なにも建築界にとどまらない。
コンタミを極度に恐れる食品界も、このままでは 果てしなく無菌状態を追い求めざるを得ないだろう。

安全を何が何でも優先する機械、なんだか、人と機械との距離がどんどん離れていくように思えてしょうがない。
安全最優先の究極は、ロボットに機械を任すしかない。
現に、そんな機械も登場している。
いやいまや ほとんどの機械が、勝手に動いているようなものだ。

でも、なにか間違っているように思えてならない。


東日本大震災の警鐘は、建築界で伊東氏が指摘したように、いまの日本人の営みを 根底から問い直している。

危険というものは、人間が生きていくうえで 付きものである。
小学生の子にナイフは危ないからと言って使わさなければ、いつまでたってもナイフの使えない人間になってしまう。

人間と機械の間に引かれた “安全”という線引きも、もう一度見直すべきではないだろうか。