YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
気を付け!休め。

文字サイズを変える
文字サイズ大文字サイズ中



私は、昭和27年に小学一年生になった。
ユニセフミルクで育った、最後の世代の入学である。

それからの小学校6年間が、いままでの人生でいちばん長く感じられる。
見るもの聞くもの すべてがもの珍しく、新鮮だった。
決していい時代ではなかったが、学校は楽しかった。

私の通っていた小学校で、当時としてはユニークな教育をしてもらった。
ハーフマラソンに相当するぐらいの距離を歩く 「能力遠足」、日本海の浜へ泊りがけの遠泳付き 「臨海学舎」、小学校をひとつの自治市と見たてた 「学校市長選挙」…


ひとつだけ、記憶に残るいやな時間帯がある。
朝礼や体育の時限での、「気を付け!休め。」の休めの長い長い時間。
突っ張った足を 右にしたり左に替えたり、ちっとも “休め”ではなかった。

いま思うに、あの教育法だけは 間違っていた。
マッカーサー教育法から発した躾けだったのだろうか。
日本の伝統的な立ち居振る舞いを無視した、悪しき躾けとしか 言いようがない。


孫引きになるが、斎藤孝著 『身体感覚を取り戻す』(NHKブックス)に、戦前に日本で生活したドイツ人哲学者デュルクハイムの著書 『肚~人間の重心』から 次のような引用文がある。


---ヨーロッパの人はとりわけ 「こせこせしない」「無頓着な」ポーズを取るか、どちらかの足に重心をかけて、肩を上げて胸を張り、「立派な」ポーズを取るが、日本人はまったく別である。/私たちの感覚からすると、しばしば 「みすぼらしく」見える。/ただ単に正面を向き、肩と腕をだらりとたらしているが、背筋を伸ばして、股を広げて立っている。/日本人は、片方の足が軽く前に出されているおりにも、他方の足にだけ重心をかけることをしない。/中心をもたずに立っている人は、日本人にとっては頼もしくみえないのである。/なぜなら、そういう人は心の軸をもたないからである。---


GHQの民間情報教育局に デュルクハイムのような教育者がいてくれれば、私を含め 戦後教育を受けた日本人の生活態度が、もうちょっといい方向に違ったものになっていたろうに、と考えるのは 思いすごしだろうか。