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愛を伝えられない大人たちへ

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「愛を伝えられない大人たちへ」
これは、映画 『RAILWAYS』パート2のサブタイトルです。

この映画の主人公、定年まぢかの鉄道運転手 滝島徹(三浦友和)に、‘似たもん’に感じる共感を覚えながら見ていました。
この手の男は、どうしてこうも堅パンで、愛情表現がヘタクソなんでしょうね。
ユーミンの歌うエンディングソング 「夜明けの雲」の最期まで、座席に座ったままでした。


この映画は、熟年夫婦の物語です。
互いのことを思いながらも 衝突してしまう、長い間夫婦をしてきた人は ほとんどみな、そんな経験者でしょう。
その衝突が 修復できるか否か、そこが問題です。
男も女も、自分が あるいは連れ合いが 定年を迎えるという時期が、こういう衝突の ひとつの大きな山場になるのは、間違いありません。
この映画に、その山場にどう対するのか のヒントが、見つかるかもしれません。

ただ ぼくは、ちょっと違う見方をしていました。
この映画のプロデューサーも 脚本家も 監督も、みんな男性です。
この映画は、「愛を伝えられない男」への哀歌ではないか。


富山地方鉄道 『稲荷町?』駅構内で、滝島徹と新米運転手、運転手になることが夢だった小田友彦(中尾明慶)とが、積み上げられた古い枕木に腰かけて、初めて本音を語り合うシーン。
滝島が、滝島を運転手の鑑と尊敬している小田に、こう述懐します。

 …ほんとうはカメラマンになりたかった。
 おやじが早くに亡くなって、食うていくのに運転手が手ごろだったというに過ぎない。
 けれど いまは、運転手になってよかったと思っている。…

高度成長期の日本に勤労者として生きた男なら ほとんどみな、会社人間だったのではないでしょうか。
一生懸命 会社のために働く、そうすることが、愛する家族を支える自分の役目だと。
自分がなりたいと思った職業に就いた男なんて、一握りじゃなかったでしょうか。

この映画で、こういう男を 決して礼賛などしていません。
憐れな男として 映し出しています。
それでも なお、就いた仕事には とことん真剣に向き合ってきた滝島徹を、否定していないと思うのです。
そこに、この映画の救いがあった。
滝島徹を、いとおしく思いました。

三浦友和は、いい役者さんになりましたね。
大好きな女優さん余貴美子が、奥さん役で幸いでした。


ところで トリビアな話ですが、元京阪電車のテレビカー車両が映っていました。
懐かしかった。
あの車両が いまだ現役で働いていることに、ちょっと励まされました。

元京阪電車のテレビカーのように、滝島徹も定年後、運転手としてもうあと数年は現役で働くことがわかって、うれしい映画の終わり方でした。