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山上の垂訓

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朝日新聞に、毎朝 載っていた 「大震災被災者数」の記事が、12月23日で途絶えた。
年末記事モードに入った、ということであろうか。


この小さな記事が途絶える最後の日に掲載された、これも小さなコラム 「ひととき」を読んで、ジンときた。

<3490人。13日の朝刊にあった、東日本大震災の行方不明の数だ。死者は1万5841人。私は毎日、この数字を確かめて新聞を読む。行方不明者が減り、死者として数えられた日は、名前がわかったことにほっとする。…>

同じ思いで 「大震災被災者数」を見てられる方がいるんだ と、投稿された広島市の主婦 足立都子さん(73歳)にお会いしたくなった。

12月23日掲載の 「大震災被災者数」によれば、行方不明者数3469人。
足立さんが投稿された13日から、21人の方が 死者に数えられたことになる。

足立さんも 欠かさず読んでられた 「南三陸日記」や 「宮古日記」に書かれている人たち。
足立さんの言葉を借りれば、
『そこには、前向きな生き方や笑顔がある。助かった命。助けられた命。そして助けた命がある。』


「大震災被災者数」を見つけたとき、‘山上の垂訓’が なぜか頭に浮かんでくる。
ぼくは、キリスト教徒ではない。
キリスト教徒でなくても、‘山上の垂訓’を知る人は多いと思う。


  こころの貧しい人たちは、さいわいである。
     天国は彼らのものである。
  悲しんでいる人たちは、さいわいである。
     彼らは慰められるであろう。
  義に飢えかわいている人たちは、さいわいである。
     彼らは飽き足りるようになるであろう。
  平和をつくり出す人たちは、さいわいである。
     彼らは神の子と呼ばれるであろう。
  義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである。
     天国は彼らのものである。


勘違いだったら、いけない。
失礼なことを言っているのかも と気にかかるのだが、行方不明者が減ったとき、ぼくは なぜかこの ‘山上の垂訓’が頭に浮かぶのだ。


足立さんは、年賀状に薄く紅色で はがき一面に 「命」と書かれたそうだ。
ぼくは まだ、どう書いたらいいのか、迷っている。