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東北地方太平洋沖地震について

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当社ホームページのトップページに掲げた 「東北地方太平洋沖地震について」の見舞文を、来月11日で削除することに決めました。

こんなことを ことさら述べること自体、すごく軽薄なことは承知しています。
ただ、あれから1年という区切りで 見舞文を削除することに、ちゃんと向き合わねば と思ったからです。


映画 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を観終わって、この長ったらしい題名の意味が やっと理解できました。

9.11で父を失ったオスカー少年が、空っぽの棺おけを埋めることで 父親の死を受け入れることに、必死でもがき 抵抗する。
オスカー少年にとって、9.11は ものすごくうるさいことで、しかも ありえないほど近い出来ごとだったのです。


「絆」であふれたこの1年、人々の善意に嘘などあるはずはありませんが、3.11で傷ついた人たちにとっては、「ものすごくうるさい」ことであったかもしれない。
3.11が 「ありえないほど近い」出来ごとであった人たちの気持ちが、一見 悲しいほど遠い出来ごとであった人々に、ちゃんと理解できるはずはないのです。

オスカー少年が 自分なりに世の中の矛盾を乗り越える強さをつかんでいくように、「ありえないほど近い」人々自身が たちなおるしかない。
その姿に対する言葉は、もはや 「見舞」ではありません。


忘れてはならないのは、オスカー少年が 自分で乗り越える強さを持てるようになった理由です。

少年に気づかれないように、同じ追体験を試みる母親。
声を失った “間借り人”、実はおじいちゃんの、孫オスカーに向ける にじみ出るような愛の眼差し。
少年が尋ね歩く ブラックという名前の人々、その多くの善意の想像力。

放っておかない気持ち、それも これみよがしでなく。
それを絆と呼ぶなら、呼べばいい。

3.11が 悲しいほど遠い出来ごとであった人々にも、応援歌は口ずさむことはできる。
それを、義務や体裁ではなく…


「見舞文」を消去するに当たって、深く思うことです。