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会釈

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かどを掃いていたら、竹箒が 登校途中の男子学生さんをとうせんぼした。
ゴメン!。
あっ いえ どうも。
それだけの会話だけれど、今朝はとても気持ちがいい。

まだ 東西線の地下鉄が二条までなので、朝の通勤・通学時は 島津製作所や西京高校へ通う人たちで 当社の前の道は ちょっとしたラッシュになる。
いつもは このラッシュどきより少し早めに済ませる かど掃きが、今朝はちょっと寝坊して ラッシュどきと重なってしまった。

このまえも かどを掃いていたとき、箒を避けるように大回りして通ってくれた女子学生さんに ありがとうと声をかけたら、にっこり笑ってちょっと頭を下げてくれた。
あの日も 気持ちよい朝だった。

若い人たちの礼儀正しいしぐさに接すると、ほんとうにうれしくなる。
日本も見捨てたもんじゃないと思えてくる。

京都ほど車の運転マナーが悪いまちはないと よく聞く。私もそう思う。
私を含め、譲るということ、待つということが苦手な人が 京都には多いような気がする。譲る 待つ だけでなく、譲られたり 待ってもらったりしたときの反応が スマートでない。
目で礼を言う とか、ちょっと頭を下げる とか、ほんのちょっとした会釈でいいのだ。
その ちょっとした会釈があるのとないのとで、どんなに街の雰囲気がちがってくることか。


『会釈』という言葉は、もともと仏教から来ているらしい。広辞苑を引くと、

和会(わえ)通訳の意。
前後相違して見える内容を、互いに照合し、意義の通じるようにすること。会通(えつう)。
前後の事情をのみこんで理会すること。
相手の心をおしはかって対応すること。応接のもてなし。
おもいやり。おもいやりのある顔。あいきょう。
にこやかにうなずくこと。軽く首を垂れて一礼すること。あいさつ。おじぎ。


とある。会釈は おもいやりであり、施顔なのだ。


会釈のとてもきれいな女性がいる。彼女の会釈に会うと、しゃんとした気分になって 敬意を覚える。
女性の会釈でよく勘違いするのが、媚愛嬌である。
はっきりと言えることは、媚愛嬌に “敬意” は付随しないということだ。
媚愛嬌は相手をぐらつかせるが、凛とした会釈は相手をすっくとさせる。大いに異なる。

やはり会釈の似合うのは 女性だが.、会釈の大切さに男女の差はない。
会釈は、そういった個別的な魅力の問題だけでなく、スマートな処世術、公共的な潤滑剤の意味合いも強い。
会釈の似合う人間になりたいと、つくづく思う。

会釈には、程よい距離感が漂う。べったりとは程遠い。かといって無関心ではない。
つかず離れず、さりげなく、そういう淡い関係を 私は好む。
だから、会釈の似合う人が好きなのである。
会釈の似合う人は、素敵です。