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文房清玩

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文房清玩。

この言葉を最初に知ったのは、開高健の遺作 『珠玉』でした。
その 「第一話」に、著者がむかし 酒場通いの折りに、ふと出会った 「初老に近い人物」の話として、紹介されています。

アクアマリンの石を文房清玩の対象としていた この老軍医は、こんな風に語ります。


 …昔の中国の文人は硯や、筆や、紙に凝ってひとりで書斎で楽しんでました。
   ブンボウは文のボウ、ボウは房ですね。
   セイガンのセイは清らか。
   ガンはもてあそぶの玩。
   文房清玩です。…


文房清玩。
いい言葉だなぁ。


蛇足ながら、同じく開高健の著作 『生物(いきもの)としての静物』のなかの 「この一本の夜々、モンブラン」にも、この言葉がキーワードのように出てきます。
この 「この一本の夜々、モンブラン」は、何度読んでも汲み尽せない魅力を持つエッセイです。


さて、わたしの文房清玩の対象は、モンブランなどの魅惑的な文房具類の誘い力にも弱いのですが、仕事がら やはり工具類ということになります。

神戸を尋ねると その多くの時間を、生田神社横の東急ハンズで過ごしていました。
東急ハンズの工具売り場におれば、何時間でも待たされたって平気です。





これは、一見 変哲もない板金ハンマーです。
先輩から譲り受けました。
手あかで汚れ、柄から何度も抜けたのを直し、一度は角穴のところで割れが入ったのを溶接で修復し…
ずーっと工具箱にありました。

実をいうと、実際に使ったのは 数えるほどです。
間があると、手にとって握り具合を確かめたり、振ってみたり、してました。

握り具合といい、重心の振り心地といい、これでなら なんでも出来そうな、いとおしい しろもの。
こういう ピタッとくるしろものには、なかなか出合えないものです。

もう物欲が萎えても、この板金ハンマーは手放したくありませんでした。
でも、工具は使ってもらって その価値が発揮できるのです。
現役を半分退いた時点で、その良さを解ってくれる後輩に譲りました。
わたしが先輩から譲り受けたと同じように。


文房清玩という言葉と この板金ハンマーは、わたしの感覚の中で 同一のものです。