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安全は祈り

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30歳になる直前に いまの会社に転職して、京都に帰ってきた。
表向きの理由は、この会社の経営者である父親が 倒れたことになっていた。

仕事は与えられるものと思っていたのが、仕事をつくり出さないといけなくなった。
いわゆる、営業。
どこをどうしていいのやら、とりあえず、これまでの納入先リストを作って、一軒一軒 ‘その後’を尋ね歩くことにした。


めぼしい納入先訪問が済んで、めぼしい手ごたえもないまま、遊んでいても と、厨房用製麺機の ‘むかし納入’客先の行脚を始めて しばらくのころであった。

その客先は、かなり年配のご夫婦が切り盛りをされているお店だった。

表から入らず勝手口から 昼の忙しい時分どきを過ぎたころに尋ねるのが ‘常識’だと、短く乏しい営業経験で学習できていた。
勝手口に入るとそこが機械場で、かなり古い でも きれいに掃除された当社製麺機が置いてあった。
黒光りした機械を見れば、ここのご主人が機械を使ってられることは、一目瞭然だった。

機械場の横から、けっこう急な階段で二階へあがるようになっている。
子どものはしゃいだ声がして、二階が居住の場らしい。
声をかけるとすぐに、ご主人が降りてきてくれた。
おかげさんで故障もなく 機嫌よう仕事してくれてますよ と、言ってくださった。
男の子が階段を駆け下りてきた。
お孫さんですかと ありきたりに尋ねると、この春一年生になったばかりです と、男の子の後ろからついて降りてきたおかみさんが、ご主人に代わって笑顔で答えてくれた。

麺を打っていると 飽きもせず機械のそばで見ているんですよ、とご主人。
機械好きの男の子が 頼もしく、かわいくて仕方ないといった表情で、男の子の背を両手で抱きしめていた。
触って怪我でもしないかと心配なんです、おかみさんは孫の手を握りながら そうおっしゃっていた。


飛び込み営業で いやな顔をされるのが苦痛で、当社製品の納入先でも あとの面倒見が不手際だった客先からの嫌みは、もっと苦痛だった。
わがままな人間は 真の営業マンにはなれないな と、悟ったような 諦めたような気分で 滅入りかけていた。
勢い、親しげに声をかけてくださる客先へと、足は向う。

年配夫婦が切り盛りする あのお店を再訪したのは、一度目から半年ほどが経っていた。

意外にも 怒ったような目でわたしを見るご主人が、いぶかられるのが鬱陶しいように ボソリと話してくれた言葉を、今でも忘れられない。
一度目の訪問から間もない夏休みに、男の子が機械の歯車に指を挟まれたというのだ。
傷は、右手人差し指の第一関節から もぎ取られた。

ものすごい罪悪感が走った。

PL法が施行される20年も前のことであり、それよりさらに15年ほども前の 安全意識が希薄だった時代に製造した機械であるから、安全カバーなどの安全対策が不完全であったことは、仕方なかったのかもしれない。
それでも、当社の機械で 大切な子供さんに大けがをさせたことが、わたしには許せなかった。


あの二度目の訪問から わたしは、自社の製品に 真剣に目を向けるようになった。
自分自身が納得のいく 自信のある製品でないのに、まともな営業などできるはずがない。
成熟機種であればあるほど、とくに安全面の改良に心血を注いだ。
ちゃんとしなければ あの男の子に あの男の子を慈しんでられたお年寄り夫婦に、申し訳がたたない。


事故というものは しばしば、想像もつかないような行為で生ずる。
どう考えても、オペレーターの不注意としかいいようのない場合も多い。

また、安全性と操作性は、多くの場合 相反する。
安全を重視するあまり、操作性の悪い機械になりがちである。

それでも、当社の機械で誰かが怪我をしてはいけない。
完璧ということは 絶対といってないが、当社の機械で誰かが傷つくことだけは避けたい。
祈るしかない。

安全は祈りである。