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荘川桜

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あっという間に 桜前線が、日本列島を南から北へ駆け抜けていった。
同時に 桜の話も、人口に乗らなくなった。

苦手なはずの桜が 青々と若葉を増やし始めると、僕には かえって桜のことが気になりだした。

爆笑問題の太田光氏が なにかの書物に、「桜は死の花ではないか」と記していたのを思い出す。
そうかなぁと思っていた僕は いま、はっきり そうでないと言い切れる。
桜は 人間の生きざまそのもの、桜は「生の花」である。


20年近く前に上映された映画 『さくら』をみたときから、荘川桜に会いたいと思っていた。
映画 『さくら』は、荘川桜に心動かされた国鉄バス車掌の さくらにかける熱い想いを描いた、中村儀朋の小説 『さくら道』に基づいている。
「太平洋と日本海を桜で繋ぎたい」という夢を実現しようと、名古屋市から金沢市までを結ぶ路線 名金急行線が走る街道沿いに 桜を植え続けた、佐藤良二の生涯を基にした作品である。
この街道、国道304号・国道156号ほかは、いつしか ‘さくら道’と呼ばれるようになった。
映画では、佐藤良二役に篠田三郎、その妻役に田中好子が演じていたのを、いまでも鮮明に覚えている。

荘川桜の樹齢500年の巨木は、その ‘さくら道’沿いの 御母衣(みぼろ)ダム湖を見下ろす移植地に、光輪寺桜と照蓮寺桜 ふたつ並んで立っている。

ゴールデンウィーク明けに 荘川桜を見に行った。
まさしく、念願叶って、である。


ことしは冬が寒かったからか 開花は例年より遅く、満開を期待していたが、竜巻がつくば市を襲った5月6日の ‘5月の嵐’で 荘川桜もほとんど散ってしまったらしい。
それでも光輪寺桜には 待っていてくれたように、ところどころ花を残していた。

屋久島の縄文杉を目の前にして 涙があふれて止まらなかったと語ってくれた友人の話を、荘川桜を見上げて 心底ほんとうなんだと思う。
老木に宿る久遠の命に、ただただ寄り添いたい。
身震いと目がしらににじみ出る涙は、純粋な感動そのものである。

よくも生きていてくれた、そう感謝せずにはいられない。

荘川桜には、多くの人たちの情念が籠っていることを承知している。
だから特別視するというのも否めない。
それでも、と思う。

移植に尽力した高碕達之助翁のことばを、いま 素直に受け止めることができる。

「進歩の名のもとに、古き姿は次第に失われてゆく。だが、人の力で救えるものは、なんとかして残したい。古きものは古きがゆえに尊いものである。」


荘川桜は、この人間の想いにこたえて、いまも生きながらえていることが、尊いのである。

限りある命を負うことに、桜も人間も差はなかろう。
懸命に生きているかどうか、なのだと思う。
百年足らずの命を負う人間は、500年の それも苦節の歳月を生き延びている荘川桜に、久遠の命を託したいのだ。


桜は、死の花ではない。
桜は、生の花だと信じたい。