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我蘇民将来之子孫也

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長いあいだ京都に住みながら 京都のことを からっきし知らないなぁ、恥ずかしながらそう思います。


家内の友人 浦地瑞穂さんのお世話で、<行者餅>という ‘幻の和菓子’を分けていただきました。
7月16日限り売られる、柏屋光貞の曰く多き京菓子です。

浦地さんが子どものころ、宵山になるときまって お父上が買ってきてくれたそうです。
子ども心に おいしくないなぁと、あまりうれしくなかったとのことです。

確かに この味はおとな好みで、白味噌ベースの餡に生姜が入っていて、それをちょっと乱暴なくらい素朴にクレープ巻きした餅菓子です。
たぶん 小さな子どもは好まないでしょう。

初めて味わった私は、旨いと思いました。
この年齢になって はじめていただいたことが、ラッキーだったのでしょう。

浦地さんのおかげで、ひとつ 京都の ‘秘密’を知ることができました。


同じ町内の、先日このブログで紹介した 『町内自慢の桜』の太田家の奥さまから、三冊の自費出版本を貸していただきました。
太田さんの奥さんとご昵懇の、高橋幹雄ご夫妻が、傘寿を越してから お書きになった 人生 「おさらい抄」の連作です。
大先輩の入魂のひとことひとことには、年ごとに間違いなく 先輩の跡を追いかけている自分にとって、ありがたい重みがあります。

この連作に載っていた余禄を読んで、八坂神社でもらうお札さんの、永年抱いていた ひとつの疑問が解けました。
永年抱いていた とはちょっと大げさで、自分で調べようとしなかっただけですが…

祇園八坂神社で配られる 疫病除けのお札には、「我蘇民将来之子孫也」と書かれています。
その意味が謎でした。

高橋さんに教えていただくところに拠ると、次のような意味があったのです。


八坂神社の祭神のスサノオは疫病神(疫病の神様)で、スサノオを鎮めるために行われるのが祇園祭である。
スサノオが疫病神になったのは、疫病神に関する次のような中国の伝承と結びついたためである。

中国の伝承によると、昔旅人が山中で迷い、日暮れて空腹で困っていた。
一夜の宿をと探し、冷たい主人の豪邸の一軒では断られ、もう一軒の 貧しいがこころの優しい蘇民将来(先ほどの豪邸の主人の兄)に助けられ、食と寝床を与えられた。
この旅人の正体は疫病神であった。
まもなく この地方では疫病が猛威をふるったが、蘇民将来は疫病にかからず 幸せな生涯を送った。

この伝承が日本に伝えられ、高天原を追放されて出雲の山中をさまよったスサノオとイメージが重なり、両者が同一視されるようになる。
疫病神を手厚くまつった者には祟りがないとされたのである。

京都の町屋の軒先でよく見られる 「我蘇民将来之子孫也」という 八坂神社のお札は、「私は蘇民将来の子孫です。だから、ご先祖さまと同様、あなたさま(疫病神)を手厚くもてなします」という意味が込められているのである。



生粋の京都人がこよなく愛する ‘あとのまつり’も終わり、7月31日の疫神社夏越祭をもって 祇園祭は終わります。
京都の底知らずの、暑い夏の始まりです。