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百済観音に魅せられて

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顔の表情のけだるい、ヒョロ長い反り曲がった像。
これが、これまで抱いていた、法隆寺の百済観音像に対する わたしの印象です。
このプロポーションが、しかしなぜか 気になっていました。

法隆寺は、近いようで いざ訪ねようと思うと、けっこう一大決心をしなければなりません。
ちょうど1年前(暑いときでした)、法起寺、法輪寺から中宮寺の弥勒菩薩像を尋ねたとき、夢殿だけを拝観して 東大門から向こうには立ち寄りませんでした。
ついでに寄るという横着なことを寄せ付けない威厳が、法隆寺にはあります。

このたび一大決心をして、また暑いさなか、法隆寺を訪ねました。
百済観音像を拝したかった、それが大きな動機です。


日本最初の世界文化遺産の値打ちは、わたしのようなものでも 判る気がします。
中門を潜って 金堂と五重塔を眺めるとき、もう そのまぎれもなく気高い遺産に圧倒されてしまいます。
1400年も前に、よくぞ このような立派な建造物を作ったものです。
そして もっとびっくりなのは、このような建造物が 1400年を経て 今に残されていることです。
心から誇りに思います。

百済観音像は、この伽藍の東側、平成10年に落成した大宝蔵院の中殿に、ガラスの中にありました。
初めて見る真新しい大宝蔵院は、法隆寺の客像である百済観音像の安住の場所にふさわしい、厳かな建物です。

さて、百済観音像との対面です。
この像だけのためのお堂は、百済観音像のプロポーションを完璧なまでに、観る者に解放してくれています。

まず、正面から拝して合掌敬祷です。
やはり、普通の意味において釣り合いの悪い、ヒョロ長の頭部過小な像です。
お顔も、ああ美しいとは言い難い。
しかし この異例の権衡は、決して不愉快なものではありません。
解しかねる ほほ笑みには、あったかい親しみを覚えます。
像全体から、一種独特の美を感じます。

御像の右へ。
正面像の垂直感覚とは がらりと変わって、人体のもつ曲線の美しさ、それも不必要な部分をそぎ落としたエッセンス曲線。
水平に差し出された右腕は唐突におもしろく、その先に 美しいとしか言いようのない与願の手です。

ぐるりと回って、御像の左側へ。
左腕がゆるやかな角度をなして 体を斜めに横切り、その指先に壺を提げています。
親指と中指で 壺の口を軽くつまんだ指先の、なんと美しいことか。
まさに 「三千大千世界」を、軽やかにつまんでいるのです。

わたしは、その美しく長い手に、心底魅了されてしまいました。


   くだら観音は壺をさげてゐる

   こやつ その壺に何も入れてはゐない
   生の歓喜も 陶酔の酒も入れてはゐないのだ

   だが見よ いと軽げに見えるその壺に
   三千大千世界を入れてゐるのを


これは、詩人 高橋新吉の 『くだら観音』という詩です。
このたびの拝像で、この詩の心が、心地よいほどに理解できました。


百済観音堂から去りがたく、会津八一の歌そのままの状態で、しばらく佇むばかりでした。


   たなごころ うたた つめたき ガラスど の くだらぼとけ に たち つくす かな