YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
アルバム

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2年前、義兄の葬儀に上京した折に、吉祥寺のおうちに立ち寄った。
元気そうにふるまっている姉が、痛々しかった。
応接間の片隅に、義兄が整理しかけていたものであろう、貼っていない写真の挟まったアルバムが、点在していた。
それらのアルバムが、なにか たまらなく、むなしいものに思えた。

こんな記憶が いま、撮り溜めた写真を 日付けを追ってアルバムに貼りながら、ふっと蘇えってきた。

このアルバムを、いったい誰が見るだろう。
わたし自身たぶん 見るとしても数回ぐらいだろうし、子どもたちや まして孫たちは見ることはないだろう。
身辺整理のときに たまったアルバムを全部捨てる、そんな意味のことが、往年の大女優の手記に載っていたなぁ。

それでも、手が勝手に、写真をアルバムに整理していく。

生身の人間とつきあうのは、さまざまな制約がある。
けれども、思い出の人とは、いつでもどこでも、いつまでもつきあえる。
アルバムは、その思い出を引き出す蔓だ。

東日本大震災で津波が引っさらって行った写真を、被災者の人たちは あんなに大切に、仮設住宅の壁に貼っていたではないか。
アルバムに貼られた写真は、その人の生きざまそのものなのだ。

アルバムという品物ではなく、アルバムに宿る思い出が尊いのだと、そう思い直して、もうちょっとで貼り終わりそうなアルバムを、いま整理している。