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シベリアのトランペット

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わたしは、ノルマという言葉が嫌いだ。
営業マンに課される 「なんとかノルマ達成」という文言を聞くと、いやーな気分になってしまう。

むかし、叔父から聞いてうっすら覚えていたのだが、ノルマという言葉はロシア語で、シベリア抑留者によって日本に持ち込まれたのだそうだ。
そのことを、岡本嗣郎著 『シベリアのトランペット~もうひとつの「抑留」物語』で確認した。

『シベリアのトランペット』の存在は、加藤和子さんのブログ 「加藤わこ三度笠書簡」で教えてもらった。
作ることは生きること>と題されたブログである。





舞鶴引揚記念館にロシア製の古びたトランペットが一管、展示されている。
終戦後、シベリアに連行・抑留された日本人捕虜たちがつくった楽劇団 「新星」で使っていたものだ。

著者・岡本嗣郎氏は、このトランペットをきっかけに、楽劇団 「新星」に在籍していたシベリア抑留者を尋ね、もうひとつの抑留物語として、ルポルタージュ 『シベリアのトランペット』を著した。

彼は 1998年夏から1999年春にかけて、老いたメンバーを尋ね歩いた。
生存者は高齢化し、体験を聴き取り調査のできるぎりぎりのタイミングであった。

このトランペットの持ち主だった名古屋正太郎氏は、こう語っている。

 「…ピストンが変わっててね、横向きについてて、横に押すようになってるだろ」
 「ライチーハの収容所には劇団があってね。団員は全部で50人くらいだったかな。
  捕虜を慰めるために歌でも踊りでも、なんでもやるのさ。
  私は小さいときからトランペットを吹いていたからね。
  トランッペットのお陰で生きて帰ったさ。
  なんでもいい、何かやってれば役に立つから。
  生きて帰れたのも、そういうめぐり合せになってるんでないかい。…」

‘一芸は身を助く’という。
名古屋氏の述懐は、まさに一芸が身を助けた証しである。

歌や踊りや手品だけではない。
電気工事でも左官でも、料理でも、身に付けた技は、それに誇りをもっている限り、シベリア抑留という 極限の悪条件下においても、わが身を助ける力になり得ることを、このルポタージュを読んで 改めて理解できた。

一芸がどうして身を助けるのか。
それは、創造という行為を通じて、生きる意味・目的を見出せるからであろう。
人間の生は、無意味なエネルギーの消費には耐えられない。
意味や目的が必要なのである。


このルポを読む少し前、録画しておいたBSプレミアムで、『生きる』という 古い映画をみた。
黒澤明監督の、昭和27年の作品である。
60年も前の映画に、いまとなんら変わらないテーマが、胸に迫る説得力で映し出されている。
主人公の志村喬は まさに、生きるには意味や目的が必要であることを、30年無欠勤役人の末路として見事に演じていた。

市役所で市民課長を務める渡辺勘治(志村喬)は、自分が余命いくばくもない胃癌だと悟り、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていた自分の人生に、意味を見失う。
そんな渡辺はある日、市役所を辞めて玩具工場に転職しようとしていた部下の小田切トヨ(小田切みき)と、偶然に行きあう。
何度か食事を共にし、一緒に時間を過ごすうちに渡辺は、若い彼女の奔放な生き方、その生命力に惹かれる。
自分が胃癌であることを渡辺がトヨに伝えると、トヨは自分が工場でつくっている玩具を見せて 「あなたも何か作ってみたら」といった。
その言葉に心を動かされた渡辺は 「まだできることがある」と気付き、次の日 市役所に復帰する。
そして…

渡辺がトヨに 「どうして君はそんなに生き生きとしているのか、教えてくれ」と迫る場面。
困り果てたトヨは、「わたし、こんなものを作っているだけよ」と言って 自分が工場で作っているウサギのおもちゃを取り出し、渡辺の目の前でゼンマイを巻いて、ウサギをぴょこんぴょこんと動かす。
「こんなものでも作っていると楽しいわよ。これを作りだしてから 日本中の赤ちゃんと仲良しになったような気がするの」
淀んでいた渡辺の目が、しだいにキラキラと輝きだす…

ルポルタージュ 『シベリアのトランペット』を読みながら、映画 『生きる』が重なった。


『シベリアのトランペット』は、60万人のシベリア抑留という理不尽な野蛮行為に、目を塞いではいない。
また、収容所や ‘出張’の行き帰りに収容所外で出会うロシア人の温もりを、見逃してはいない。

この著者は しかし、「シベリア抑留という現実が悲惨であればあるほど、その檻のなかの人々は一片の優しさや温もりを求めたはずである」として、生き残り当事者のぎりぎりの聴き取り調査のすえ、捕虜強制収容所で生まれた一編のヒューマンストーリーを紡いだ。

どんなに強靭な人だって、残酷と悲惨だけに囲まれて生きることはできない。
希望や救いが必要である。
その希望や救いを、どうして手に入れるか。

その答えは、加藤和子さんのブログの題名、<作ることは生きること>にあるように思う。
それを、この著者・岡本嗣郎氏は、つぎの言葉で表現している。

  人間は創造の喜びなしには成り立たない。
  創造は究極の精神の救済である。