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大滝のタンポポおじちゃん

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この10月2日、俳優の大滝秀治さんが亡くなられた。
87歳だった。
映画やテレビドラマのミーハーにとって、その存在感は大きかった。


京都労演の会員になって、演劇に熱をあげていたことがある。
昭和43年、44年ころである。
会場は、京都会館第二ホール。

労演の例会公演は月1回あり、毎回 劇団は変わるのだが、ほとんどが文学座、劇団民芸、俳優座の公演だったと覚えている。
劇団民芸の公演は 10回くらいは観ているはずなのだが、記憶にある主役級の男優は、滝沢修や芦田伸介、米倉斉加年といった名前しか浮かばない。
大滝秀治は その当時、わたしの記憶にはなかった。

時間が戻せるものなら、例えば、『ヴェニスの商人』のテュバル役を演じていたはずの大滝秀治を、一挙手一投足、その息遣いまで、追ってみたい。

大滝秀治という役者に惚れたのは、ずっと後の、昭和50年ころのテレビドラマであった。
東芝日曜劇場 『うちのホンカン』である。
籠ったような発音で 「本官は…」と話す大滝さんの声が、いまでも耳に残っている。


映画やテレビドラマでしか 見たり聞いたりできなかったのだから、いくら大滝秀治のファンと言っても、思い出は 他のファンの方たちと さほど変わらないと思う。
このブログは 亡くなられてすぐ、あれやこれや書きだしたのだが、自分だけの追悼文としておいた。

先日、朝日新聞の<声>欄で、『大滝のタンポポおじちゃん』と題した、西宮市の松永浩美さんの投稿文を読んだ。
こんなに素敵な追悼文はない、大滝秀治ファンに是非読んでもらいたい、少し羨ましい気持ちを伴いながら そう思った。

全文を写して、紹介します。


 大滝のタンポポおじちゃん

  東京・世田谷の都営アパートに暮らした小学2年生の春。
  タンポポがアパートのベランダの下に黄色いじゅうたんになっていたのを今も鮮明に覚えている。

  ある日、1階に住むおじちゃんに尋ねた。
  「ベランダの下のタンポポを取ってもいい?」。
  「全部取っちゃあ、だめだよ。来年また咲くように残しておこうね」。
  ざらついた、でも温かい声だった。
  私はタンポポを片手にいっぱい握りしめながら、うなずいた。
  そしてさらに尋ねた。
  「おじちゃん、どうしてお仕事に行かないの?」。
  失礼な質問に、おじちゃんはニコニコ答えてくれた。
  「今ね、お仕事なくて、奥さんに食べさせてもらってるの」。
  「タンポポありがとう」と言って私が帰ろうとすると、「ちょっと待って」と奥へ。
  ベランダ越しに小さな紙包みを私に手渡した。
  中にはビスケットが二つ。
  私の友達の分まで包んでくれていた。

  母によると、そのベランダの住人は、先日亡くなった俳優の大滝秀治さん。
  後にテレビなどでお顔を拝見するたび、母は私に声をかけた。
  「タンポポおじちゃんが出ているよ」。
  その母も8年前に亡くなった。

  大滝さんの優しい声と笑顔にもう会えないと思うと寂しい。
  ご冥福をお祈りしています。