YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
温かいお金

文字サイズを変える
文字サイズ大文字サイズ中



<走る車内>
 純。
 その(尾崎豊が流れるウォークマンの(引用者註))イヤホンが突然抜かれる。
純「ハ?」
 運転手を見る。
純「すみません、きこえませんでした」
 運転手、フロントグラスの前に置かれた封筒をあごで指す。
純「ハ?」
運転手「しまっとけ」
純「--何ですか」
運転手「金だ。いらんっていうのにおやじが置いてった。しまっとけ」
純「あ、いやそれは」
運転手「いいから、お前が記念にとっとけ」
純「いえ、アノ」
運転手「抜いてみな、ピン札に泥がついている。お前のおやじの手についた泥だろう」
 純。
運転手「オラは受取れん。お前の宝にしろ。貴重なピン札だ。一生とっとけ」
 純。
 --。
 恐る恐る封筒を取り、中からソッと札を抜き出す。
 二枚のピン札。
 ま新しい泥がついている。
 純の顔。
 音楽--テーマ曲、静かに入る。B.G。
 純の目からドッと涙が吹き出す。
 音楽--
<エンドマーク>


上のシナリオは、倉本總脚本 『北の国から--'87初恋』のラストシーンです。
純を演ずるのは、言わずもがな 吉岡秀隆。
運転手は、大好きだった男優、故・古尾谷雅人です。
思い出したように、このビデオをみました。
このラストシーンに、また 泣いてしまいました。

温かいお金とは、この ‘泥のついたピン札’をいうのだろう、わたしはかってに、そう解釈しています。
哲学者・内山節氏のいう 「冷たいお金」「温かいお金」の、「温かいお金」です。
内山氏は その著書 『怯えの時代』(新潮選書)の中で、冷たいお金・温かいお金という、言い得て妙な表現を用いています。

貨幣上の価値以外の何ものも付与されていないお金を 「冷たいお金」というのなら、金融市場を飛び交う桁外れの額の金融商品、巨大システムで動く見ることも想像することすらできない額のお金は、ものすごく冷たいお金と言えるでしょう。
そんな巨大なお金でなくても、わたしたちは日々、血の通っていない 「冷たいお金」を直視して暮らしています。
しかし それだけでは、あまりにも淋しすぎます。


もう4年以上前になりますが、わたしはこのブログ欄に 『お金を<冗談>にしないために』という題で、お金の話を初めてしました。
お金のありがたさと怖さを知った上での話で、落語家・故立川談志の次の言葉が、その引き金でした。
「汗水流してやっと稼いだ1万円と、チョコチョコっとパソコンいじってはじきだした1万円と、ちゃんと区別してもらわなくっちゃあ やってられねえよ」

社会は あれからいろんな事件や災難があって、わたしたちのお金に対する気持ちも 変わってきているように思われます。
もっと以前から、ほんとうは みんな気づいていたのでしょう。
映画 『男はつらいよ』が あんなに大勢の人に愛されたのからして、テレビドラマ 『北の国から』が あんなにヒットしたのからして、わたしたちの心の中では 温かいお金を欲していたに違いないのです。


内山氏は、温かいお金を使いたいばかりに振り込め詐欺に引っかかるお年寄りの心境を、挙げています。
孫が窮地に陥っていることを知らされたお年寄りは、老後のためにコツコツ貯めてきたお金を、惜しげもなく送金してしまう。
日頃 孫と疎遠なこのお年寄りには、一本の電話で 「温かいお金」の使い方が目の前に現れたのです。
いかに温かいお金を使いたいと思っているのか、切ないけれど判りやすい一例だと思います。

温かいお金を使ったとき わたしたちは、使ったお金以上の価値を見いだしているのだと思います。
喜びや楽しさを感じるのだと思います。
だからこそ、「冷たい貨幣」だけが支配する社会のなかで わたしたちは幸せになることができるだろうか、との内山氏の問いかけが響くのです。
温かいお金は、人と人をつなぐ。
人が人のために使うお金です。
わたしたちは もう一度、温かいお金を使う社会に戻さなければなりません。
そうでないと、いくら政治が小手先の策をめぐらしても、わたしたちは幸せにはなれない。


資本主義社会の限界、これは 現代に生きるもの誰もが、薄々感じていることではないでしょうか。
内山氏が指摘する通り、資本主義社会は膨張する社会です。
年率何パーセントの経済成長…と、資本主義社会は つねに膨張を是としています。
有限の自然を食いつぶしながら、自然の回復速度より はるかに早いスピードで…

資本主義社会の行き詰まりの最大の原因は、“自然は有限である”ことを度外視していることにあります。
その象徴的な歴史的出来事が、ニクソンショックと称される、1971年8月15日に発表された ‘ドル紙幣と金との兌換停止’の宣言だと思います。
有限の ‘金’の価値以上に、紙切れに過ぎない ‘貨幣’が、世界に流れ出したのです。
「冷たい貨幣」の氾濫の始まりです。
そして いまは、‘紙切れ’であることすら実感できない ヴァーチャルマネーなのです。


街は いま、ひっきりなしで ‘お願いします’が、選挙カーのスピーカーから流れています。
原発やら消費税やらTTPやら…
選挙カーからの ‘お願いします’を聞きながら、この社会は結局のところ、お金のことをきちっと正さないといけないんだなぁ、漠然とですが 確信をもって そう思いました。
やはり、ミヒャエル・エンデが物語 『モモ』のなかでつぶやいているように、「問題の根源は お金にある」と。


白い作業着をきた得意先様が、わざわざ先月分の請求額の現金をもって、来社してくださいました。
ありがたいことです。
思わず、おしいただきました。
これこそ 「温かいお金」です。

お金のシステムを作りかえるような、‘大きな物語’を語ることはできません。
わたしたちは、まわりに少しでも温かいお金を作りだし見いだす ‘小さな物語’を、コツコツとつくりあげていくしかありません。
白い作業着の得意先様を見送りながら、そのように考えました。