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369のメトシエラ

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不思議な映画です。
もう京都での上映は終わってしまいました。
この “おやじ節”も、映画 『369のメトシエラ』を共有していなければ、何の意味も持たないことは承知しています。
それでも、『369のメトシエラ』からのメッセージを伝えたい、この映画にはそんな力があります。


阿部百合子さんという女優さんを、この映画 『369のメトシエラ』で知りました。
トシをとると気品が大事だと悟らせてくれる、いい役者さんですね。
彼女のお気に入りの言葉は 「凛」、嫌いな言葉は 「孤独」だそうです。
この映画 『369のメトシエラ』は、彼女のこれらの言葉で言い尽くされているように思います。

どうでもいいかなとは思いますが、気になるといけないので 題名の ‘訳’を伝えます。
369のメトシエラとは、安アパートの369号室に独り暮らししている長寿老婆(阿部百合子)の意。
変な題名のこの映画、ほんとに変な映画ですが、観終わってから じわっと良さが伝わってきました。
最後には素直に、「自由でなくていい、孤独であるよりは」と感じてしまう…

無名監督の小林兄弟が自主制作したこの映画は、3年前ミニシアターで上映されたときには、まったく前評判の無い作品でした。
それが、3.11を経ていま、現代の病巣に疲れた人々のこころを射つづけています。

自主制作のきっかけは、7年ほど前 熊本市の慈恵病院に赤ちゃんポストが設置されたことだと聞きました。
小林兄弟は この<赤ちゃんポスト>の語感に驚き、その是非について兄弟の間で議論したのだそうです。
議論は 「都会の中の孤独」から 「現代社会の矛盾」を経て、希望という救いのひとつとして 『369のメトシエラ』へ行き着いたのでした。


長々と ‘おやじの感想文’を書くよりは、パンフレットに載っていた寄稿文を紹介したほうが賢明だと判断します。
寄稿者は、弁護士・中村裕二さんという方です。
「穏やかで平和な現代をとりまく残酷なドラマ」と題した寄稿文の、最後のほうだけ紹介します。


…私が法律家の仕事をしていると、法律の無力さを痛感することがある。
  私が法律家を目指していたとき、法律は万能であると信じていた。
  法律書は、まるで聖書のように、あらゆる問題を解決する魔法の文字であると信じていた。
  だからこそ、夢中で法律の勉強をすることができた。
  しかし、法律家になってみると、様々な人間関係に直面したときに法律の無力を感じる。
  法律は、法律だけでは存在の意味が無い。その法律を運用する正しい人間がいて、初めてその法律が
  魂を獲得する。

  (だが)正しい人間は誰なのか、正しい人間はどこからやってくるのか。
  価値観が多様化する現代社会にあって、はたして正しい人間の定義は可能なのか。

  その答えが、この映画の中にあった。


この映画、きっとまた どこかで、京都でも、再上映されるでしょう。
そのときには、是非みてください。
なぜ そんなに薦めるのかと言うと わたし自身、家内の先輩の娘婿さんが出演しているから、というきっかけで(しかたなく)映画館に足を運んだ観賞者に過ぎなかったからです。

もしかしたら 『369のメトシエラ』を見て、家族とかダメになっても、自分はそれに代わる何かをしてあげられる そんな何かを見出す人も出てくるかもしれない、などと空想しながら…