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フェルメールの光

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地球儀を回して眺めると よく判ることなのだが、オランダという国は 北樺太と同じくらいの緯度にある。
なのに、冬でも零度以下になることは稀なのだそうだ。
夏涼しく 極寒の冬がなく、降雨量は年間を通じほぼ一定で 梅雨や干ばつがない。
これは 暖流や偏西風の影響で、これを 西岸海洋性気候と呼ぶことを知った。

しかし 緯度が高いのだから、陽射しは日本に比べて かなり低いはず。
低い陽射しは、多くの水分や埃を潜りぬけて、穏やかになる。
そして 窓からの光は、部屋の奥深くまで 忍び込む。
絶対量の少ない光を逃すまいと、この地の人々は太陽光線へあこがれる、と かってに想像する。

フェルメールの絵の中の光が、内向的な落ち着きがあり、そのくせ独占的なのは、この低い陽射しと関係があるにちがいない。
まるで、太陽光を冬眠させて いつまでも留めておきたい、というような…


神戸市立博物館でのマウリッツハイス美術館展は、この6日で終わった。
終わるぎりぎりに、観に行った。
目当ては、レンブラントの最晩年の自画像と、もちろん フェルメールの 「真珠の耳飾りの少女」。

真珠の耳飾りの少女が気に入っている、というわけではなかった。
あえて言うと、あの のっぺり顔は苦手である。
わたしは、どちらかと言えば、犬に例えると ブルドッグやチワワのように、クチュンとした顔のほうを好む。
この少女の顔には、なにか 人間を感じさせない、生気のなさが漂っている。
なんの個性も見出せそうにない、ゆいいつ特徴的な厚めの唇は、一見だらしなく開いている。

ならば、わざわざ神戸まで観に行かなくても…。
それでも観たいのは、ひとえにミーハー根性なのだ。
なんで みなが、ダヴィンチのモナリザに劣らぬ興味を持つのか、現物で確かめたかった。


謎に包まれた画家、フェルメール。
自画像もない、直筆の手紙も見当たらない、アトリエも残っていない。
が、ドラマチックな生涯を空想して謎に包みたがるのは、わたしのような後世のミーハーである。
確かな資料から窺えることは、フェルメールは いたって普通の一生を送ったようだ。

フェルメールがその43年の生涯の大半を過ごしたデルフトは、わずか1㎞四方の小さな町らしい。
しかし フェルメールが生きた17世紀のオランダ最盛期には、アムステルダムやロッテルダムに比べれば小規模ながら、デルフトも 東インド会社の拠点のひとつとして、エネルギッシュな繁栄を築いていた。

フェルメールは、年に2,3作のペースで作品を仕上げて10人をこえる子供を養っていた、と伝えられている。
そんな 一見のどかな暮らしが可能だったのは、裕福な義母の援助もあったのだろうが、オランダ最盛期という時代が フェルメールを活かしたことは間違いない。


「真珠の耳飾りの少女」をまじかで見られる列は長蛇をなし、かつ 永くは止まっていられない。
人の肩越しからなら、離れてはいるが ゆっくり眺められる。
その方を選んだ。

画集やさまざまな印刷物で目にする 大きさのイメージとはかけ離れて、ずいぶん小さな作品だと感じた。
まず惹きつけられたのは、少女の瞳。

観賞する前に読んだ手引書に、「鑑賞者は無意識のうちに画家の揺れ動く視線を体験させられるであろう」とあった。
その訳が、少女の瞳に映る光点であることを理解した。

実は、マウリッツハイス美術館展を観る少し前の旅先で 孫とのツーショットの似顔絵を描いてもらったのだが、そのときの 「画竜点晴」体験が、この理解に役立ったと かってに合点している。
その似顔絵は あまり上手とも思えなかったが、ただ 目だけは活きていた。
活きたと感じたのは、似顔絵の絵描きさんが 描き終わる直前に、白マジックインキのペン先で 瞳に映る光点を点付けした瞬間だったのである。

少女は、じっとこちらを見ているのではなさそうだ。
しがない似顔絵とフェルメールの名画を並列に置くこと自体 恐れ入るのだが、少女の左右の瞳に映る 微妙に位置がずれている白く小さい光点から、振り向いた瞬間か 真っ黒なバックの方を向こうと動きかけた瞬間か どちらか判らないが、確かに揺れている、そう感じ取ることができたのだ。

この光点の効果は、口元の左右にもみられる。
だらしなく開いていると考えていた唇は、これらの光点で いっそう、なにかを話しかけようとしている瞬間か 「どう?」と話し終えた瞬間か どちらか判らないが、確かに話声が聞こえる気がするのだ。

名画の題名にもなっている、真珠の耳飾り。
これはすごい。
少女の首筋の肌に重ねられた 二つの白いハイライトだけで、よくもまあ 見事に球面を描き出している。
やはり、観に来て よかった。
この真珠の輝きの魅力は、実物をじっくりみないと判らない。


神戸市立博物館を出るときには もう、縦約45㎝横約40㎝の 「真珠の耳飾りの少女」の、光の魅力に はまってしまっていた。
フェルメール、この名の響きも、実に魅力的ではないか。