最後の別れ際の態度 |
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たまに だが、国会中継をテレビで見る。
先日見たのは、衆議院予算委員会で石原慎太郎氏が質問に立っているところだった。
あぁあ、あんな老人にはなりたくないなぁ。
老害という造語がある。
この言葉は、いまの石原慎太郎氏のために創られたのではと、いやぁーな気分になって 国会中継を切ってしまった。
出処進退を誤ると、彼のような醜い老いを 人前に晒すことになるのやなぁ。
住友の大番頭であり 別子銅山中興の祖といわれた伊庭貞剛(いばていごう)は、こう言っている。
事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなく、老人の跋扈である。
一企業だけでなく、一国のまつりごとも、然りであろう。
わたしは、日記をつけたことがない。
正確には、日記を続けられたためしがない。
だから 日記というものは残っていないが、業務日誌みたいなものは、いまの仕事に就いてから ずうっと続けている。
もう、40年近くになる。
その業務日誌の見開きに、ある時期から同じ言葉が書き継がれている。
出典は定かでないが、たぶん 扇谷正造の自己啓発本かなんかで知ったのだと思う。
その人についての思い出の中で
もっとも印象深いのは
いずれの情景や言葉よりも
最後の別れ際の態度であろう
こんなことがあった。
グリコ・森永事件に使われたのと同じ型の<日本タイプライター>で、見積書を清書していた頃のことである。
見積配置図を何枚も何枚も描き直し、見積書が一冊のファイルになるほど書き直した、引き合い案件であった。
とどのつまり、本部へに働きかけ力の弱さゆえ、逸注してしまった。
先方担当者との最後の面談、腹は悔しさで煮えくりかえっていたが、ふと 「最後の別れ際の態度」のくだり文句がよぎった。
ひとこと 「ありがとうございました」と、深くお辞儀をして退場した。
そののち10年ほどして、同じ会社から 再度引き合いがきた。
あの担当者は、相当な重い役に就いていた。
引き合いが成立して 最初の顔合わせの席で、彼が話しかけてくれた。
「前回は ほんとに申し訳ないおもいをさせました。最後の打合せで あなたの後ろ姿をみて、このつぎは御社にお願いしようと決めていました。」
わたしが いかほど仕事冥利を感じたか、言うまでもない。
冒頭で わたしは、石原慎太郎氏を評して 「往生際の悪い云々」といいかけて、やめた。
わたしの ほんとうの意味での最後の別れ際 「往生際」は、まだこれからである。
石原慎太郎氏を とやかく言える立場ではない。
願わくは、家族の記憶に 笑顔一つで残る人生でありたい。
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