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NHK特集ドラマ 「ラジオ」

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昨夜(3月26日夜10時)放映の、NHK特集ドラマ 「ラジオ」。
舞台となった女川さいがいFMへ、ツィートがひっきりなしに寄せられています。
どのツイートも、同感同感同感、、、
いや、ドラマ 「ラジオ」を食い入るように観ていても 気づかなかった某ちゃんの気持ちを、補足し増長してくれるツィートばかり。

1年前の 「がんばっぺラジオ」(2012年1月10日NHK総合で放映)を見ていなかったら、また震災ドラマかいなと流し去っていたでしょう。
そう思う自分自身がいやなのですが、3月11日前後の震災追悼一色の報道に、正直 食傷気味だったのです。
流し去らなくて良かった。

ドラマ 「ラジオ」をみてられる前提でしゃべります。


その前に。

被災者(そう呼ぶこと自体 某ちゃんは嫌うのですが)と被災から遠かった者とのあいだには、どうしても埋められない ‘深い河’があります。
それは、いたしかたないと思います。
ひとくくりに被災者といっても、ひとりひとり事情が違うでしょう。
被災から遠かった者にも、いろんな事情があるのです。
その多くは、なにかしてあげたい気持ちはあっても、どうしようもできないのだと思います。
その大きな障碍に、放射能があります。
放射能がなかったら、深い河を少しは浅くして繋がれたかも知れない。
だから、放射能が憎いのです。


前置きが長くなりました。

某ちゃんは、実在する 「女川さいがいFM」で活躍した女子高校生メンバーのひとりです。
この春、都内の大学へ進学します。

いまなら、某ちゃんが 「昨日までの宝物。今日は汚染物と罵られる」とブログで叫んだ気持ちが、少しわかります。
「月命日11日は、被災地と被災地外の温度差を感じる日」とつぶやくのも、少しわかります。
「復興ってなんだべか」と 心の奥底をぶつけるように書き始めた某ちゃんのブログには、年齢や性別や 生まれや環境をこえて、震えがくるくらい 共鳴できます。

某ちゃんがうちに帰ってきて、冷たい雪の降る家の前にお母さんが待っていてくれて、仮設の玄関開けたらヨーグルトを冷蔵庫から出して食べようとしているお父さんがいて、ただそれだけなんだけど、某ちゃんが堰を切ったように泣き崩れるシーン。
あたりまえに慣れきっている 被災から遠い者のひとりであるわたしにも、某ちゃんの泣き崩れる訳がわかります。

ラストシーン。
迷って悩んで、少しずつ 「心の脚」で立ち上がった某ちゃんが決意しての 都内大学への進学。
女川をあとに 石巻市駅行きのミヤコーバスが石巻橋にさしかかるころ、車内でイヤホーンして聞いていた 女川さいがいFMから流れるジャパニーズロックが突如、雑音に消されてゆく。

ミヤコーバスには 石巻橋を渡る路線は 実際にはないらしいのですが、このあたりで女川さいがいFMの電波が届かなくなるのは ほんとう とのことです。
ドラマの中だけでも 某ちゃんに添えたわたしには、女川さいがいFMの電波が届かなくなるあの橋が、被災地と被災地外とを隔てる深い河のように思えました。

このドラマを見るきっかけは、カメレオンさんの日記に促されて という部分もあり、現在の心境の代弁に その記事の最後の一文を無断でお借りします。

 あの時からずっと傷ついている人たちが沢山います。皆さんのこと、忘れないと言っても信じられないかな…
 ごめんねと心の中で謝ることしかできないです。

某ちゃんの本名は、明かされません。
女川さいがいFMへ寄せられたツィートにも述べられているように、某ちゃんはどこにでもいるのです。
だから、某ちゃんでいいのです。

あしたの わたしかもしれない。
だからこそ、このドラマに感動した!で終わってはならないのだと。