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宮沢喜一元首相の死

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小学校低学年の頃 現役で活躍している有名人で尊敬する人のトップは、湯川秀樹博士でした。
吉田茂首相を挙げる子もいました。

今はどうでしょう。イチロー選手でしょうか。
でも、政治家を尊敬する人に挙げる子は いるのでしょうか。

政治に関心は薄かったものの、私は その時どきでの施政者の人となりを興味深く見てきました。
もちろん 直接会って話できるはずもなく、新聞やテレビなどの報道を通じて知る程度の理解度です。
政治家の好き嫌いは、どの政党に属するかにも拠りますが、どうしても感覚的になってしまい勝ちです。
政治家がインタビューに応じるときの ものの言い方やしぐさ、国会中継で垣間見る議員席での表情から、直感的にその政治家の価値観に好感が持てるかどうか 判断してしまうのです。
でも、たぶん その判断は間違っていないと思います。

宮沢喜一元首相は、私の数少ない 好きな政治家の一人でした。
一言で言えば、政治家らしくないところが好きでした。
権力に弱く 「お公家集団」の代表みたいに揶揄されたのは、俗な名誉や地位を欲しない徳の 裏返しだったと思います。
穏やかな知性と 奥の深い教養に裏打ちされた、でも いざというときには断固自分の考えを貫く 強い意思の政治家でした。

2年前に収録されたインタビュー番組 「ザ・メッセージ 『政界の巨人・宮沢喜一との対話』 (聞き手:福田和也)」 が、先日 BSフジで再放送されました。
このインタビューの中で披瀝した宮沢氏の思いは、なにか これからの日本に託した遺言のように感じました。
「ぜひ 若い方にお願いしたいのは・・・」 と、宮沢氏は語ります。

ぜひ 若い方にお願いしたいのは、とにかく 戦争をしてはいけない ということです。
21世紀も日本が軍事大国にならないよう、それには 日米関係に続いて日中関係が非常に重要です。
いまや中国は、経済大国であると同時に軍事大国です。中国に対して、日常的に最大の配慮をして
いかなければなりません。

宮沢氏は、言葉を選ぶように ゆっくりと続けます。
そのためには、最大限の誠意を尽くして、日中間に空間が生じないようにしなくてはなりません。

単に戦争反対、憲法擁護ではなく、血のにじむ苦労の戦後政治を渡ってきた自負からくる 中道精神を背にした、非戦へのこだわりだと思います。だからこそ、中国に対する深い配慮を求めているのです。
宮沢氏の死は、いまの風潮の日本で 計り知れない損失です。

老衰死。この言葉は、久しく 神々しく 耳に響きます。
宮沢喜一氏 87歳、6月28日 午後1時16分、自宅で老衰死。

その朝まで 新聞を読む気力を持ち続けての死だったといいます。やはり 私の尊敬する政治家だった、なにか とても誇らしい気持ちです。と同時に、品格ある最後の政治家が逝ってしまった という寂しい思いがします。

戦争を知らない政治家に、遺言のように警鐘を鳴らしつづけた宮沢氏。

海外での武力行使には断固反対する」 と唱え通した宮沢氏に続く 知性と勇気ある政治家が出てくることを、願ってやみません。