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わたしの憲法感

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いま 日本は、憲法改正の機が熟しつつある、と一部の政治家や学者が言っています。
ほんとうに、そうでしょうか。
日本国民の何割の人々が、現行の日本国憲法を じっくり読んだことがあるのか、わたしには疑問です。

1982年春に発行され 当時ベストセラーだった小学館「日本国憲法」が、改版されてコンビニに並んでいる、とのことですが、近くのセブンイレブンにもローソンにもファミマにも、置いてありませんでした。
それほど売れていない証拠でしょう。
現行の日本国憲法を精読したこともないのに、憲法改正の機が熟しつつある なんて言えるはずがありません。

そういうわたしも、日本国憲法とまともに向きあったのは ごく最近、7年前の‘憲法施行60周年記念’として刊行された「なぞって読む日本国憲法」(白夜書房)からです。
ただたんに読むよりは なぞって書いて読んだ方が、憲法をより身近に感じるかも、と期待してのことでした。

三日坊主のわたしにしては 全文なぞって書き終えたものの、それほど頭に残っているわけではありません。
ただ、『前文』の文章が美しいのには感動しました。
これはまさに祈りだ、と感じました。

  ・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
  ・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
  ・・・われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
  日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。


前文の理想主義は 現実的な妥当性があるのか、そう自問し迷う学者もいます。
でも わたしは、これでいいと思う。
実現が難しいのを承知で、高い理想を掲げることに、なんの迷いがありましょうや。

日本国憲法は、たといその素性が他国からの押し付けであったにせよ、どこをとっても間違ったことを言っていません。
67年前、戦争の辛酸を嘗めつくした人々の、平和への心からの願いを文章に表した唯一の公文書が、この日本国憲法ではないでしょうか。
現実的な妥当性など、超越した存在だと思います。

自民党の『前文素案』を読みました。
決して‘悪文’ではありませんが、現行の『前文』の足元にも及びません。
改める必要を、微塵も認めません。

憲法よりも今日のメシ、それが現実でしょう。
しかしもし この国の国民であり続けるのなら、この国の根幹を成す憲法を ときの政府が変えようというのであれば、国民すべてが今一度 現行の日本国憲法を精査すべきだと思います。
その精査なしで、改憲を争点にした国政選挙に臨むべきではないと思います。


天野祐吉氏は、先日亡くなった なだいなださんの言葉を引用して、自民党のスローガン「強い国」に対抗できるのは「賢い国」しかない、と言っています。

フランスとの原発技術の共同開発とか、原発の輸出や武器づくりにも協力してあたるとか、いづれも「強い国」に必要なものばかり。
まず、「強い国」になるには、最先端の武器をそろえるお金が要る。
それには、強引な経済成長が必要である。
それには原発の再稼働が欠かせない。
それに比べたら「賢い国」になるためには、とくにお金は要らない。
知恵と品性があればいい。

わたしに限らず、3.11を目の当たりにした多くの日本国民は、天野氏の言わんとするところがよく理解できるはずです。


いま、日本国憲法を読みなおしています。
改めて、どこをとってみても間違ったことを言っていない、そう確信します。
こんな憲法を持つ国に生活できることを、誇りに思います。