硝子戸の中 |
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予備校講師・林修さんは、やっぱりすごい先生みたいですネ。 あの「今でしょ先生」です。
たまたま続けて、彼が出演している番組をみました。 6月21日(金)の『ぴったんこカン・カン』と、6月24日(月)の『笑っていいとも!』です。 前者で
彼の人柄を、後者で 彼の学識を、垣間見た気がします。
笑っていいともの中で、夏目漱石の‘講義’をしていました。 漱石の作品で
いちばん多く扱われるテーマは?という設問で
今でしょ先生は、人間関係、それも三角関係だと答えていました。 漱石は、死ぬまで生きて、醜くも素敵な人の生きざまを、読者に示し続けた作家だった、そういうニュアンスの感想を述べていました。 どうも
今でしょ先生も、漱石ファンみたいです。 今でしょ先生の講義を、受けてみたくなりました。
遅読のわたしは、本はツンドクの方で、本棚にある書物の二割程度しか
完読できていません。 そのなかで、岩波書店版の漱石全集だけは
読み切ったことを、ちょっと誇りに思っています。 同時に、漱石ドタファンを自認しています。
漱石の晩年の作品に、『硝子戸の中』という薄い随想集があります。 漱石の孫である
漫画評論家の夏目房之介氏が、漱石の作品でいちばん好きな作品だそうです。
胃潰瘍に苦しみながら、終日書斎にこもって療養している漱石が、書斎の硝子戸から眺める仕切られた小さな光景から、静かに人生と社会を語る、という内容です。 仕切られた小さな光景から、‘菫ほど小さき人’は、深い深い人生哲学をひも解いて行くのです。
この短編に出会ったとき
わたしは、気に入りの言葉「日暮れて道遠し」を思い浮かべました。 あぁもうだめか、いや まだやれる、まだ諦めるのは早い、その揺れる感情が
ひしひしと伝わってくるのです。
恋に傷ついた「その女」に対して、漱石は
こう話しかけます。 「そんなら死なずに生きていらっしゃい」と。 これは、漱石が漱石自身に話しかけている言葉のようです。
今でしょ先生が表現していた「死ぬまで生きた」作家という意味が、『硝子戸の中』を読んでいたわたしには、よく理解できました。 『硝子戸の中』を、再読しました。
世の中がどんなに変わろうとも、漱石の描く‘生きること’は、いつまでも‘今’であり、いつまでも新鮮であり続けるでしょう。
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