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その後の人生

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映画 『風と共に去りぬ』を初めて観たのは、昭和36年9月10日、大阪なんば南街劇場でした。
こんなに正確に覚えているはずもなく、実は 大事にしまっていた 『風と共に去りぬ』の パンフレットに貼ってあった、入場券の半券から わかったことです。
この映画がアメリカで封切られたのは、それからまだ22年前の 1939年のことでした。

封切りから68年後の今も、 『風と共に去りぬ』は 決して色あせていません。
それどころか 46年前に受けたあのショックは、この映画を観るたびごとに 形を変えて蘇ってきます。

あるときは クラーク・ゲイブルの魅力に取り付かれ、あるときは 反戦映画であったことに気付いて感動し、あるときはこんなものすごい映画を 太平洋戦争の直前に作っていたアメリカに道理で勝てっこなかったと、変な合点をしてみたり・・・。
ちなみに、マーガレット・ミッチェル女史の原作題名 『GONE WITH THE WIND』の邦訳 『風と共に去りぬ』は すごい名訳だとは思われませんか。

スクリーンの名画面と呼ばれるものは、数多くあります。
そういう名画面の中でも、私の記憶の中で飛びぬけて燦然と残っているのは、 『風と共の去りぬ』 一部の終りのシーン、主人公スカーレット・オハラが 燃える夕日(実は撮影は朝日だったそうですが)を背に 荒れ果てたタラ農園の野原にひざまずいて もう決して腹が減ったと言わないと誓う場面です。
その スカーレット役を演じていたのが、映画史上もっとも美しい女優といわれた そして、少年から大人になりかけの危なっかしい年頃の私を虜にした ビビアン・リーでした。


前書きがついつい長ったらしくなりましたが、ここで書きたいのは 「その後の人生」 であり、それを語ろうとしたときに最初に思い起こされたのが、この ビビアン・リーの その後の人生だったのです。

よく知られているように、もう一人のもっとも魅力的な女優 オードリー・ヘップバーンのその後の人生は、『ローマの休日』 のお嬢さんイメージから抜けきれず、アクトレスとしての 世に言う成功は望めませんでしたが、ユニセフ大使として 彼女の魂の善意を放ちきって世を去りました。誰からも愛され敬われる 「その後の人生」 だったと思います。

ビビアン・リーのその後の人生は、オードリー・ヘップバーンと対照的でした。
『風と共に去りぬ』のスカーレットは ビビアンにのり移り、世界中の彼女の熱狂的なファンが ビビアンの足下にひざまずきました。名優 ローレンス・オリビエとのスキャンダラスないきさつは、あまりにも有名です。
自分たちの幸せを追い求めるあまり、おそらく周りの幾多の人々を犠牲にしたことでしょう。

そんな世界を注目させた結婚(1940年)を貫いたおしどり夫婦が、20年後に離婚します。
その間 世間も彼女自身も、まだスカーレットの面影を追い求めていたに違いありません。
それでも 内容のあるほんものの女優としての名声を、マーロン・ブランドと共演した 『欲望という名の電車』(1951年)のブランシュ役で掴みます。
淀川長治流に言えば、 “なんとも哀れ悲惨でウジがわきだしたリンゴ” 役で、二度目のアカデミー主演女優賞を獲得したのです。

女優最高の名誉ある役を掴み しかも最高の名演を見せたのに、彼女はしだいに “身を崩して” いきます。
彼女にヒステリーが生じ、ナーヴァスブレークダウンしていくのです。
オリビエとの不仲がヒステリーをひきおこしたか彼女の美しいがゆえのわがままなヒステリーが不仲を誘ったのか、1960年の離婚から7年後、ビビアンは54歳でロンドンのアパートで誰ひとりにも看とられることなく この世を去ります。

あの名女優 キャサリン・ヘップバーンは、生涯アクトレスを貫きました。
世界のアイドル オードリー・ヘップバーンは、若い頃に勝ち得た名声を神聖な仕事に役立てて、真摯な生き方を貫きました。いずれも 敬服すべき生きざまです。
でも、私は、女そのものを生き抜いたビビアン・リーの 不器用なその後の人生に、深い親しみを覚えます。

60歳を超えたころから、たぶん他の方たちと同様、私も 「その後の人生」をどのように全うすべきか、迷い、諦め、思い直し、できれば悔いのない充実したその後の人生を歩みたいと、先人たちの生きざまを模索し出しています。
私にとって、すばらしい生涯を終えられた先人の生きざまより、人から賞賛されることもなく、ぶざまに這いずり回りながら 自分なりの生き方を貫いた先人の生きざまの方が、大切に思えます。
自分も、そういう生き方しかできないだろうと、諦めというより 安らぎに似た思いで、そう確信しているからです。
そして、うすうす、自分のためだけでなく 自分以外のために 「その後の人生」 を歩んだほうが、もっと安らいだ心で すごせることを感づいています。
それは、賞賛されるためでなく あくまでも自分が安らぎたいためであって、自分勝手な発想から生まれたものです。
それでいいと、私は思っています。


『欲望という名の電車』 という映画を ご覧になりましたか。
もしまだでしたら、是非一度観てみてください。惹きつけられる映画です。
最近まで この映画を観ることがいやでした。あの スカーレット役のビビアン・リーの美しさを消してしまうのが いやだったのです。
でも 今は、 “なんとも哀れ悲惨でウジがわきだしたリンゴ” のようなブランシュ役のビビアン・リーを、とてもいとおしく思います。


青春の日々に身に染ませた青春歌に、ワーズワースの詩 「草原の輝き」 があります。

草原の輝けるとき 花美しく咲きしとき 再びそれは還らずとも 嘆くなかれ その奥に秘めたる力を 見出すべし

誰にも等しく、草原の輝けるときがあります。そして、間違いなく それは再び還らぬものとなります。

でも、それは嘆くことではないのです。
その後の人生は、その奥に秘められた力で 生き抜いていけるのです。たとえ、草原の輝きが 『風と共に去りぬ』 のスカーレットや、『ローマの休日』 のアン王女のような 晴れがましい輝きでなくても、自分ひとりの宝である草原の輝きがあれば。