けったいな電話に触発されて |
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先日の夕方、けったいな(失敬な
と言うべきか)電話がかかってきました。
あんたところのホームページをみた、なんの進歩もないやないか、他のメーカとどこが違うね…・
すぐトサカにくる自分の性格からすれば、「なにぬかしてけつかんねん、失礼にもほどがある!」ガチャン、となるところでした。 それを堪えて、延々1時間の‘罵声’に
まずまず冷静に付き合えたのは、その日の昼に訪れた佐川美術館での対談公演で、安野光雅さんのおっとりした人柄に 直に接する機会を持てたお陰だ、と。 いっときの
はかない‘度量の大きさ’に、心ひそかに満足したものでした。 亀の甲より年の功、なのかもしれません。
設計技術者と名乗る‘失敬な彼’の言い分は、要約すると
こういうことでした。 『これだけの機能と能力をもった製麺機では、もうこれ以上コンパクトにはなりません。』という、当社製品<ミディ麺機セット>のキャッチコピーが気に食わない、というのです。 この技術の進歩した時代に、基本的には100年前と
ほとんど変わらない構造で、なにを偉そうに言うてるねん、と。
我ながら
落ち着いて言えた、と少々悦に入っているのですが、こう返しました。 「<ミディ麺機セット>は、きのうきょう
オリジナルをコピーしたものではありません。当社には90年という歴史があります。もちろん
最初は、オリジナルの‘大隈式麺機’のコピーから始まりました。大改良とまではいかなくても、その時その時 客先の提案や苦情を踏まえて
改良に改良を重ねて、今日に至っています。あなたの目からみれば、100年前とちっとも変っていないと映るかもしれません。しかし、このスタイルに落ち着くには、ああでもない
こうでもない という試行錯誤の、積み重ねがあるのです。いまの形に落ち着いたのは、100点満点ではないけれど、やっぱりこのスタイルがいちばん無難なんだ
という、どこか諦観的な苦渋の結論なのです。」
彼の口調が、ちょっと丁寧になったようでした。 電話の向こうから、こんな‘提案’をしてきます。 どんな麺でも、一台の切刃で出来ることを考えよ、と。
高価な切刃を、うどん、和そば、中華そば…用に全部そろえて、その都度 面倒な切刃交換するのは、時代遅れも甚だしい、と。 また、いまの日本の技術をもってすれば、ロール幅を自由に変えられる製麺ロールなど、すぐに出来るやないか、と。 麺玉重量の調量は、麺線長さではなく、ロール幅(麺線数)で以ってすべきだ、と。
よくよく考えれば‘彼’は口の悪い技術コンサルタントのようなもの、受話器を持つ手がだるくなり出した頃、そう思いはじめました。 電話料金は
向こう持ちの、技術ボランティアを買って出ているんだ、と。 それに、製麺機設計のことも かなり まぁ、解っているなぁ、と。 そう考えると、立つ腹も
少しは収まってきました。
あまりの長電話に閉口しだして、切り上げ口上に
こう伝えました。 「おっしゃることは、的を得ています。あなたのおっしゃるのは、理想の麺機です。ただ、分母にマネーを置いて
考えなければなりません。スポンサーが必要です。あなた、当社のスポンサーになっていただけますか?」
くだらない漫才みたいな、長電話でした。 しかし、バカにしてはならない、そう自戒しています。
メーカーたるもの、常に技術の革新に意を用いなければならない。 いま食えていけるのは、過去の損覚悟の改良努力があったからだ。
いま ゆとりのあるうちに、未来に食っていけるだけの 技術の積み重ねをしておかねば…
‘失敬な彼’の唐突な長電話に、ある意味 感謝をこめて、そう思います。
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