一枚の写真 |
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終戦記念日のいまごろになると、決まって脳裏に浮かぶ、一枚の写真があります。

この写真を撮ったのは、米従軍カメラマンのジョー・オダネル氏です。 6年前の、原爆長崎投下日
8月9日に、85歳の生涯を閉じました。 彼も、原爆症患者でした。
5年前の夏、NHKスペシャル「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI」が、放映されました。 そこに
わたしは、ひとりのアメリカ人の良心を、深く感じました。 思わず、身が震えました。 そして、あの写真『焼場に立つ少年』を知ったのです。
http://www.dailymotion.com/video/xzghxa_yyyyyyy-yyyyyyyyyynagasaki_news#.UYKKBxyILXp
ダラダラと記すのは、止します。 上の動画をご覧いただければ、いいことですから。
オダネル氏の言葉から、『焼場に立つ少年』にまつわる箇所だけ、紹介させてください。 先日、立命館大学国際平和ミュージアムで催された、第33回「平和のための京都の戦争展」で出会ったポスター<NO
MORE HIBAKUSHA!>に添えられていた、textです。
[ 焼き場の少年
]
1945年9月---佐世保から長崎に入った私は
小高い丘から下を眺めていました。
10歳ぐらいの歩いて来る少年が目に止まりました。
おんぶ紐をたすき掛けにし
背中に幼子をしょっています。
この焼き場にやってきた強い意思が感じられました。
しかも、少年は裸足でした。焼き場のふちに
5分から10分ほど立っていたでしょうか。
おもむろに白いマスクをした男たちが少年に近づき、
ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。この時、
私は背中の幼子が死んでいるのに気がつきました。
幼い肉体が火に溶け、ジューッと音がしました。
まばゆい炎が舞い上がり、直立不動の少年の
あどけない頬を夕陽のように照らしました。
炎を食い入るように見つめる少年の唇には
血がにじんでいました。
あまりにもきつく唇を噛みしめているので、
唇の血は流れず下唇を赤く染めていました。
炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、
沈黙のまま焼き場を去っていきました。
背筋が凍るような光景でした。
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迷彩服を着て ニコニコ顔で戦車に乗っていた、あなた。 あなたは、『焼場に立つ少年』の写真を、知っていますか。 あなたは
なぜ、平和を叫ばないのですか。 なぜ、この世から原爆をなくそうと、努力しないのですか。
戦争を知らない、あなた。
この一枚の写真『焼場に立つ少年』を、心に血がにじむまで、あなたの胸に刻み込んでほしいのです。
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