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書と太極拳

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60の手習い、ではないが、つい最近 書を習い出した。
それも、主として 細筆書。

太筆書は、むかし たいていの学童がそうであった以上に長期間、先生に就いて習った時期があった。
森岡峻山という、篆書の達人の先生で、人間の大先輩としても、恩人の先生だった。

字を書くのは好きだったし、峻山先生に手ほどきしてもらうのも楽しかった。
が、あぁもうこれ以上うまくならないだろうなぁという予感と、京都を離れるという外的理由で、習字という習いごとは止めてしまった。
今から思えば、ずっと続けていればよかった。

きっかけは、家内の冗談である。
枕屏風くらい、自分の字で書いておけば・・・
家内の言う枕屏風とは、仏さんの枕元に立てかける 辞世の句などが書かれた屏風のことである。

枕屏風なら、やはり細筆書だろうが、細筆書というものに皆目自信がない。
なら、習うしかない。

太筆書に慣れ親しんでいたせいだろうが、それがかえって災いして、正直言うと、細筆書を見下すような嫌いはあった。
でも、好きな詩人の詩などを 変体仮名まじりの細筆書で すらすら書いてあるのを見るにつけ、自分もこんなふうに書けたらいいなぁ、とは常々感じてはいた。

まだ 習い初めて間もないのだが、細筆書は けっこう おもしろい。
漢字はよその国の字だけれど、仮名はやっぱり日本人の字だと、仮名が愛おしくなる。
峻山先生に習った筆の運びとは かなり違うので戸惑いはあるが、新天地を開拓するような悦びがある。

気づいたことがある。
書と太極拳には、基本的な相似点がある。

筆はまっすぐ立てて、太極拳の姿勢も正中線をまっすぐに立てて・・・
「意連」という言葉を習った。
ひとつひとつの字は独立しているが、気持ち(意)が連なっていること。
太極拳の型も ひとつひとつ独立しているが、動作も意も型から型へ連なっている・・・
字と字の連なりは、遠回りに大きく。
太極拳の動きも、円を描くように 丸く大きく・・・

こじつけではなく、書と太極拳は 基本でよく似ている。
筆が寝ていますよ と注意を受けながら習字していて、そういう思いに浸っている。