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やっぱり、おかしい。

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やっぱり、おかしい。


2007年12月、認知症の男性(当時91歳)が、愛知県大府市のJR東海道本線の線路内に入り、列車と衝突して 死亡するという事故が起きた。
JR東海は、この男性の家族らの安全対策が不十分だったとして、遺族らに 列車が遅れたことに関する損害賠償を求めた。
名古屋地裁は、今年8月9日、男性の妻(当時85歳)と長男に、請求全額にあたる 約720万円を支払うよう命じた。

名古屋地裁の裁判官は、「妻には見守りを怠った過失がある」と認定し、別居している長男についても「事実上の監督者」として「徘徊を防止する適切な措置を講じていなかった」とした。
裁判長は、「男性の介護体制は、介護者が常に目を離さないことが前提となっており、過失の責任は免れない」と述べた。
(日経新聞8月10日の記事より)

この名古屋地裁の判断は、現行の法律に基づいて正しいのだろう。
しかし、なにか 割り切れない感情が残る。
やっぱり、おかしい。


2005年4月に起きた JR宝塚線の脱線事故の裁判で、先月26日 神戸地裁は、「JR西日本の歴代社長3人は事故の危険性を具体的に予見することはできなかった」として、3人に無罪の判決を下した。
「今も多くの人が苦しむ大変な事故で、誰一人刑事責任を問わないのをおかしいと思われるのはもっともです。ただ企業の責任ではなく、社長という個人の責任を追及する場合には厳格に考えないといけないので、こうなりました」と、神戸地裁裁判長と二人の裁判官は、法廷内の遺族らに向って、約10秒間、深々と頭を下げた、という(朝日新聞9月27日の記事より)。

原則として個人を処罰対象とする今の刑法では、かれら法人トップに責任を取らせることができない、ということらしい。
責任がJR西にあるのは あきらかであるにも関わらず、にである。
法律では そうなるのかも知れないが、当事者でないわたしですら、大きな憤りを抑えられない。
やっぱり、おかしい。


宝塚線脱線事故の裁判報道に接するたびに、思い出す出来事がある。
9年前に起きた、鳥インフルエンザ事件である。

京都府丹波町の浅田農産船井農場で、大量の鳥インフルエンザ感染鶏が見つかった。
浅田農産の社長は、感染を認識していたにもかかわらず、府への報告を怠った。
そのため、感染の疑いのある鶏肉や玉子が流通したことに加え、船井農場の周りの養鶏場で二次感染が発生した。
事件発覚の10日後、社長の両親で創業者の会長夫妻が、本社のある姫路市内で首を吊って死んでいるのが発見された。

事態を隠蔽しようとしたのは 間違いなく咎められるべきことであるが、執拗なマスコミの追求に悩んでのことであろう、なんとも不憫な事件ではあった。

JR西日本の3人の元社長は自殺すべきだ、などと言うつもりは、さらさらない。
ただ わたしは、首つり自殺した浅田農産の会長夫妻が弱い人間で JR西日本の元社長たちが強い人間だ、だけで済ますことができないのだ。
道義的な責任の感じ方、その差である。


トップが責任をとらない、ただ マスコミ会見で頭を下げるでだけ。
このところの 諸々の事件に対処する当事者トップの行動を 報道でみるにつけ、感じる思いである。
どうして こんな日本になってしまったのだろう。

いや、これが、今の日本の‘常識’なのかも知れない。
いまや、東アジア的道徳概念は、過去の遺物になってしまったのだから。

大日本帝国憲法の憲法発布勅語に、「朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ・・・」とある。
朕(天皇)は、臣民の平和と安寧をその心の中心に置いている、と解釈できる。
臣民は、言葉を換えれば(天皇の)奴隷であるから、今の民主主義日本に受け容れられるものでは、もちろんない。
現憲法の日本国憲法では、主権は国民なのだから。
ただ、支配者であった朕は、東アジア的道徳概念(儒教思想や武士道精神)のもと、家来である臣民を思いやる という根本が、大日本帝国憲法下では、たてまえ上とは言え、拘束としてあった。

戦後 日本は、政治の世界にも経済界にも、数多くの尊敬に値するリーダーたちを輩出した。
彼らは 共通して、東アジア的道徳概念を持っていたように思う。
例えば 終身雇用制は、東アジア的道徳概念のあらわれではなかったか。

いま トップが責任を取らないのは、日本国憲法のほんとうを曲解した`主権在民’の一端と言えなくもない。
言い方を換えれば、トップの、悪い意味でのサラリーマン化である。


宝塚線脱線事故の裁判で わたしは、いろんなことを考えさせられた。
神戸地裁の下した判決は、寛容という リベラルの根本理念からして、仕方ないことなのか。
しかし その寛容も、人間としての責任感を前提にしての、適用でなければならないはずだ。

やっぱり、おかしい。