ピカソ |
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室生寺を訪ねるのには、ちょっとした決断が要る。 足場が悪く、東大寺や唐招提寺を尋ねるような気楽な感覚では、室生寺訪問は果たせない。 そんな室生寺を、学生のころ(もう50年近く前になる)足しげく通った。 五重塔を見るため、であった。 五重塔を見るためだけに、であった。
京都には五重塔が五つある。 東寺の塔(国宝)。 醍醐寺の塔(国宝)。 八坂の塔(重文)。 御室の塔(重文)。 そして木津川市加茂町にある海住山寺の五重塔(国宝)。 近場にこれだけあるのに、室生寺の五重塔に魅せられたのである。
2年前の秋、室生寺に足を運んだ。 15年前の9月
台風で、そばの大杉が倒れかかり、五重塔は大被害を受けた。 修復なった五重塔が、学生のころ見上げるように眺めたものと、大きく変わったわけではない。 美しいが小さい。 あの頃は、小さいから美しく見えた。 魂を売り渡してしまうような
あの陶酔感は、生まれて来なかった。 こちらが、変わってしまったのであろう。
同じような体験を、井上靖の著書『美しきものとの出会い』(文藝春秋刊)のなかに見いだした。 若い日にこの塔に出会った井上靖は、一度しか会っていないのに、室生寺の五重塔が、生涯
心の中にはいりこんで居坐ってしまった。 が、30年後の再会では、30年も美しい、美しいと思い続けてきた五重塔はこれであったかと、多少つき離した思いで眺めた、とある。 文豪もそうだったのか
と、こそばゆい充足を得たものだ。
この逆の体験もある。 若いときには 見向きもしなかったものが、こちらが歳を重ねて
輝きを放つ、という体験。
ちあきなおみの歌う『喝采』がレコード大賞を取ったのは、もう40年以上も前のことである。 当時
なんでこんな歌がレコード大賞に選ばれるのか、理解できなかった。
先日、NHKテレビ番組<SONGS>で『喝采』を聞いた。 引き込まれるように、聴き入った、しびれた。 聴き惚れるとは、こういうことを言うのだろう。
ピカソの絵が、これと同じである。
長生きしたピカソは、作風がめまぐるしく変化している。 キュビスム以降の作品をつまみ食いのように鑑賞して、ピカソって変な画家、というレッテルを貼ってしまった。 ゲルニカの良さを、若いわたしには
判らなかったし、変な画家との印象が
理解をも妨げた。
ことし、二つの展覧会で、ピカソの若いころの作品、「青の時代」から「バラ色の時代」への移行期に描かれた作品に、続けて出会うことができた。 ひとつは、春から夏にかけて開催された<美の競演---関西コレクションズ>(大阪国立国際美術館)での『道化役者と子供』。 もうひとつは、秋から冬にかけて開催された<プーシキン美術館展>(神戸市立博物館)での『マジョルカ島の女』。 どちらも、厚紙にグワッシュ(不透明水彩絵具)で描かれた、20号相当の縦長作品である。
一筆で人物の特徴を捉えるデッサン力、青を基調に、少ない数の色彩で
心の奥深くを表現している。 『道化役者と子供』の前でも、『マジョルカ島の女』の前でも、しばらく動くことができなかった。 ビビビーンとくる感動とは
こういう状態のことなんだな、と。 ピカソの描く哀愁に、わたしの胸が共鳴をおこして、自分が道化役者であり子供であり、マジョルカ島の女である、という変てこな気分。
絵の力ってすごい。 やっぱり、ピカソはすごい。
ピカソの良さが、少しわかって、ものすごく うれしい。
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