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作家と職人

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作家と職人。
そのどちらでもない わたしの中で、「作家と職人」は長年のテーマであった。
変なこだわりである。

私の勝手な解釈であるが、作家は二つとして無いものを追求し、職人は寸分たがわず同じものを作りだすことを旨とする、いわば 相容れない存在だと考えてきた。
どんなことでもそうなのであろうが、作家と職人は、実は はっきり区切り線を入れられるものではないことが、歳を重ねるにつれ 少しずつわかってきたように感ずる。

その最たる例が、染色の世界だ。

染色の世界を深く知らない。
いまの染色産業は分業化が進んで、工程的にもたぶん 作家と職人は別々なのであろう。
しかし 染色技術の黎明期は、そうではなかった。


いま、京都工芸繊維大学美術工芸資料館で 「染色芸術の世界---鶴巻鶴一と中堂憲一---」展が催されている(2月28日まで)。

鶴巻鶴一は、京都工芸繊維大学の前身である京都高等工芸学校の2代校長であり、同時にロウケツ染の復活者かつ染色作家で、京都の染色界に大きな業績を果した人物である。
中堂憲一は、「型絵染め」と呼ぶ技法で 芸術作品としての染めを世に問うた、大正昭和期の版画作家である。
ともに、作家とも職人とも区別のつかない、図案下絵から染色までを自ら一貫してこなした、マルチ人間だ。

化学者であった鶴巻は、染色という いわば出来たとこ勝負の世界に 科学のメスをいれ、学問的系統立てを試みたと同時に、絶えて久しい天平の染色技法 「﨟纈(ろうけち)」を復活させる。
さらに、平安時代より口伝によって伝承されてきた墨流し染の技法を特許 「波紋染製造方法」として 布地に染める方法をあみ出し、二つと同じものができない 創造性豊かな作品を製作する。

友禅染は、蝋で防染するか、糸目糊を用いて防染するかの違いで、技法としてはロウケツ染に通底している。

型染も 防染に糊を用いる染色方式で、古くからある技法だが、中堂憲一は この技法ともうひとつ、一種のステンシル(合羽版)のような方法の型絵技法を併用して、独特の幻想的な染色世界を創り出した。
展示されていた中で わたしは、1979年の中堂作品 「母の手」に魅せられた。


この展示会を観て、永年の課題だった 「作家と職人」というテーマが、いともたやすく解決できた思いがする。
もともと 作家といえども摸倣から始まり、職人といえども創造性豊かな感性がなければならないのである。
はなから、作家と職人を区別するのが間違いだったのだろう。


ところで 実は、鶴巻鶴一は、家内の曽祖父に当たる人である。