YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
藤井寺市というところ

文字サイズを変える
文字サイズ大文字サイズ中



大阪のことを、同し畿内にいて恥ずかしながら、よく知らない。
特に 河内と呼ばれる地域に関しては、地理・歴史を含め 無知に等しい。
仕事でこの方面に向かう機会は けっこう多いのだが、高速道路を点から点へ移動するだけで、土地の人情に触れる などという状況ではなかった。

その大阪音痴のわたしが、大和川流域の地に、いま愛着に似た興味を募らせている。


大和川は、奈良盆地に落ちる水脈を集めて 生駒山地を縫うように越え、途中で亀の瀬地すべりを引き起こしたりして河内平野を貫き、最後は大阪湾へ注ぎ込む 暴れ川である。
藤井寺市道明寺は、この大和川が 南河内から流れてきた石川と合流するあたりに位置する。
と まぁ、俄か仕立ての地理勉強で知った。

実は ここ道明寺には、やや小柄ながら それはそれは上品な古仏、十一面観音菩薩立像が本尊として祀られているのだ。
道明寺天満宮の西に位置するこの寺のご本尊は秘蔵で、普段は拝顔することは許されない。
ただ、毎月18日の観音縁日と25日の天神縁日には開扉されると聞いた。
道明寺は 菅原道真公ゆかりの古刹ゆえ、25日も公開されるのであろう。

道真公自ら彫ったと伝えられるこの榧(かや)材一木造り像は、七体ある国宝・十一面観音菩薩像のうちのひとつ。
七体の国宝のうち 京都六波羅蜜寺の本尊十一面観音菩薩立像は、12年に一度辰年のみに開帳される秘仏であるから とりあえす諦めるとして、拝顔が叶っていなかった残り一体が、道明寺像であった。

昨年の11月 観音縁日の18日、意を決して 尼寺道明寺をたずねた。

想像以上に小ぶりなお姿は、神々しさよりも愛らしさが先立つ。
すべて小さめなつくりだが、頬や胸の肉付きは、はち切れそうに豊かで若々しい。
尼さまの どうぞ間近まで との言葉に甘えて、ごくごく近づいて拝見させていただいた。
尼寺の本尊にふさわしい、やさしさに満ちたお顔である。
縁日にもかかわらず 大師堂周辺は人影もまばらで、観音像とトイメンの 心安らかな拝観であった。

道明寺は藤井寺市の東端、と言っても、藤井寺市は大阪府の中で一番面積の小さい町である。
最寄りの駅は、道明寺駅より近鉄南大阪線の土師ノ里駅のほうが近いのでは…
市の西端にある 西国五番札所の葛井寺へは、二駅(土師ノ里からなら一駅)で藤井寺、その駅前すぐだ。
車なら10分もかかるまい。

この葛井寺には 以前、三十三所めぐりでたずねているのだが、本尊をまだ拝していない。
観音縁日の18日しか公開されていないからであった。
実は この日の一番の目当ては、このご本尊・十一面千手千眼観音菩薩坐像の拝観にあった。

「真数千手」の超一級千手観音像。
等身よりやや大きめの体躯の左右に、大脇手38本 小脇手1001本が、まるで光背のように密集して広がっている。
胸元で指先を少し接するだけの合掌手を加えて、合計1041本。
その一本一本の手の表情は、どれも同じものがない。
ほとんどが上向きに差し出された手の平には、みな眼が描かれている。
脇手群は 決してグロテスクな印象はなく、むしろ穏やかに像を包み込んで、安心を醸し出している。

すばらしい。
奈良にある天平彫刻に引けを取らない、いや それ以上であろう。

真数千手群もさることながら、わたしは、半眼伏し目のお顔と胸元合掌手の美しさに、心が大きく揺さぶられた。
わぁーっと、湧き上がる感動。
あぁ たずねきて、よかった、心底そう思える拝観であった。


東から西に流れる大和川の南側に位置する藤井寺市は、地図を見るとよく判るのだが、水色で表されている池と緑色の古墳が 実に多い。
数多くある池は、暴れ川の大和川が 支流の石川とともに暴れた痕跡ではなかろうか。
古市(ふるいち)古墳群と呼ばれる 密集した大小の古墳は、南隣の羽曳野市にまたがって広がり、大小あわせて123基(現存87基)が確認されているという。
4世紀末から6世紀前半頃までの およそ150年の間に築造されたものらしい。
奈良飛鳥より ずっと古いのだ。

葛井と書いて「ふじい」と読ませるが、その源は 百済からの渡来一族・王仁(わに)であるらしい。
つまり この地は、先進国であった朝鮮南部の民の 末裔の地なのである。
実におもしろい。

10年ほど前になるが、中国西安市で遣唐留学生の墓誌が発見されたことがニュースになった。
井真成(いのまなり)という、阿倍仲麻呂らと共に19歳で渡唐した遣唐留学生であることが報じられた。
この真成は、西暦734年正月に36歳で客死している。
彼の故郷は、たぶん藤井寺であるという。
いま 井真成は、藤井寺市の公式ゆるキャラになっている。

一日の旅の終わりに、松永白洲記念館に立ち寄った。
市の北東部 河内国府(こう)跡近く、石川が大和川に合流する付近にある。
時間外にもかかわらず、ようこそ遠いところから と、館主の松永明氏に 館内を丁寧に説明していただいた。
松永白洲記念館については、インターネットのホームページ http://homepage2.nifty.com/RYUUGEno66/ を覗いていただきたい。
鉄道ファン 特に近鉄ファンには、そのリンクページ「つばめno巣」は必見と思う。

次の画像は、松永白洲記念館へ行く途中、石川の堤沿いで見つけた橋である。
東隣の柏原市と行き来する、自転車と人だけが通れる吊り橋(文化庁登録有形文化財)だ。





一日かけて 藤井寺市をめぐった。
社寺や旧跡や歴史もさることながら、この地の人との接触が なによりのおもいでとなった。
おはなし好きな道明寺の尼さま、誠実な説明をしてくださった葛井寺の(たぶん)住職さん、昼ごはんで立ち寄った蕎麦屋「蕎香(きょうか)」の朴訥として親切なおやじさん、一休みしたカフェUzumakiのおかみさんと交わした‘藤井寺のええとこ’談義、松永白洲記念館では 時間外の拝観にも快く容れていただいて 上がり込んでお茶してもらって・・・

また機会あれば、たずねたい町、藤井寺市である。