インターンシップ |
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昭和41年夏、椿本チヱィン製作所鶴見本社工場の大東椿寮に入寮した。 学部学生の夏休みを利用した21日間の、協力事業所への派遣現場実習であった。 同志社に通う一年上の
永田さんという学生と同室であった。 いまで言う「インターンシップ」である。
鶴見工場は、移転して
いまはもうない。 広大な跡地は、イオンモール鶴見緑地として
ショッピングセンターになっている。
人の一生には、何回かの大きな転機がある。 大東椿寮で過ごした20日余りの日々は
その大きな転機のひとつであったと、今振り返って そう思う。 学校に残って学問を続ける気持ちが、民間社会人への強い憧れに
押しつぶされた期間だったのである。
鶴見工場コンベアチヱィン製造部製造課に仮配属された20日間、来る日も来る日も チェーンリンクプレートの測定にあけくれた。 調査目的は いちおう、「リンクプレートのピッチ・孔径について、熱処理による
プレス孔加工時に対する変動を調査する。併せて、焼入れ後と焼戻し後のピッチ・孔径を比較し、ひずみ量・余肉がピッチ・孔径に与える影響を検討する」というものであった。 たぶん会社には、なんの役にも立っていなかっただろう。
単調な作業が、ちっとも苦にならなかった。 機械、作業服、朝礼、昼休み・・・見るもの聞くもの触れるもの、すべてが新鮮で魅力的だった。 そして、ほんとうの大人の男の仲間入りができた、という喜びで満ちていた。
がらんとした休日の
大東椿寮の食堂のテレビに、星のフラメンコを歌う西郷輝彦が映っている。 厨房のおねえさんが、仕事の手を休めてカウンター越しに、目を輝かせてテレビを見入っている。 永田さんとわたしは、‘はえいらず’から山盛りのご飯を取り出して、それに
食卓備え付けのゴマ入り塩を振り掛ける。 開けっ放しの窓から ときおり、涼しげな風が食堂を吹きぬける。 気持ちのゆとりも時間も、存分に有り余った
遠い遠い思い出である。
現実の社会はどうあれ、社会へ飛び出す時期を目前にした学生にとって、「インターンシップ」という実地体験は、おどろきと憧れを伴った
貴重な機会に違いない。
こういう わたし個人の気持ちもはたらいて、15年ほど前から毎年、市内の工業高校からインターンシップの学生さんたちを受けいれている。

なかには
突拍子もない学生もいたが、押しなべてみな、礼儀正しくまじめな青年たちである。 3日間という短い実習期間だが、きっとなにか貴重なものを掴んでくれるだろう。
そう期待して、担当の社員も心をこめて指導している。

最終日には、自分たちが手がけた製麺機械で 実際に麺をつくり、それを土産に実習を終える。

聞くところによると、市内にある二つの市立工業高校は 生徒数の減少と校舎の老朽化を理由に、近く統合されるという。 良きにつけ悪きにつけ質の違った特徴を持つ
ふたつの工業高校が統合されるというのは、さびしい。 ものづくりの好きな若者が
自由に羽ばたける学び舎を、期待したいものである。
当社を含め
たくさんの協力事業所で、インターンシップ学生が巣立った。
遠いむかしにわたしが吸い込んだ憧れと希望を、彼らもきっと胸いっぱい詰め込んだ、と信じたい。
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